月行事(読み)ガチギョウジ

デジタル大辞泉 「月行事」の意味・読み・例文・類語

がち‐ぎょうじ〔グワチギヤウジ〕【月行事/月行司】

中世から近世、毎月交替で町内または商工業の組合の事務を処理した当番。つきぎょうじ。
近世、遊郭で毎月交替する楼主の総代。
「―から札取らねば、大門が出られませぬ」〈浄・冥途の飛脚

つき‐ぎょうじ〔‐ギヤウジ〕【月行事/月行司】

江戸時代、1か月交代で、町内や商人組合などの事務処理をした人。がちぎょうじ。

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改訂新版 世界大百科事典 「月行事」の意味・わかりやすい解説

月行事 (がちぎょうじ)

月行司とも書く。〈がつぎょうじ〉ともいった。《日葡辞書》に〈Guachiguiǒji ある村の代表者,あるいは,総代のような役職であって,1ヵ月間勤めるもの〉とある。このように月行事はひと月交代で執務する役職をいい,日本中世の寺院社会で僧侶が輪番で勤仕する職掌を指した。一例として1447年(文安4)延暦寺が寺領近江国得珍保(とくちんほ)今堀郷の新開田年貢免除を僧侶である学頭代,月行事の名で承認しているし,郷村間の紛争も両者で処理している。また《祇園執行日記》の天文2年(1533)6月7日条に,祇園会(ぎおんえ)について〈山鉾ノ義ニ付,朝,山本大蔵カ所ヘ下京ノ六十六町ノクワチキヤチ(月行事)共フレ口,雑色(ぞうしき)ナト皆々来候〉とあり,この月行事は京都下京の各町内から輪番で務める世話役である。江戸時代,京都の町内では町年寄(ちようどしより)を補佐するのに五人組と月行事がおり,慶長年間(1596-1615)京都冷泉町には2人の月行事がいた。町内の月行事とともに,町(ちよう)の連合体である町組(ちようぐみ)でも月輪番の月行事町が設定され,行事町を介して町奉行,所司代の触書が下達された。浄瑠璃《冥途の飛脚》に〈イヤ身請の衆は親方がすんでから,宿老殿で判を消し,月行事から札取らねば大門が出られませぬ〉とあるのは,遊里の楼主が毎月交代で月行事となり,宿老(町年寄)とともに廓内の統制にあたったのを指している。月行事の制度は同業組合にも採用され,1721年(享保6)11月の江戸幕府の触れでは〈諸商人諸職人組合相極メ,月行事相定,新規之品巧出し不申候様被仰付候間,先達て申渡ス組合帳面銘々差出候付,其月々之月行事名前月書付,可差出候事〉と,同業組合に月行事をおき,組合の帳簿の提出を義務づけている。
執筆者: 近世の大坂では,1639年(寛永16)の宗旨人別帳に町年寄と月行司が奥印しており,幕政初期より存在していたといえる。これは家持町人が2人ずつ交代制であたっており,借家人は含めていない。近世の株仲間などの同業組織には,定行司・年行司らと共に役員としておかれ,公儀・関係仲間との対外折衝や,仲間会所・会計・共有財産の管理や仲間員の統制にあたっていた。一般に対等の関係によって構成される自立性の強い自治組織において,町年寄・年行司らの上級執行機関の命令のもとに,日常的な管理や事務にあたる下級執行機関という性格であったといえる。
執筆者:

《日葡辞書》には〈Nenguiǒji 1年の間つとめる役人〉とある。《京都御役所向大概覚書》に〈中座之儀洛中町々之年行事交替罷出,鉄棒引,囚人縄取いたし候処,中古以来,年行事共より給銀出し,年行事役中座九人ニ而相勤候,壱人ニ付給銀一日壱匁〉と規定され,江戸時代の京都において,洛中の町々が輪番で牢屋敷警備などの役を務めていたが,複数の年行事が給銀を支払って中座9人にその役務を代行させていたことがわかる。京都では1787年(天明7)の全国的な飢饉翌年の大火以後,籾(もみ)年番が設定され,三つの町組が1組となって籾米備蓄にあたっているが,この行事番町の年番制は年行事制度である。仏教の教団においても教団運営には月行事,年行事が設定されている。江戸時代,増上寺において上座12人の僧侶が月行事として法義や普請などの用務を処理しており,また修験道においても,年行事修験,准行事修験の役職があって年輪番で組織の運営にあたった。日本の社会にあっては,聖俗にかかわりなく組織のあるところ組織運営について一定期間責任をもつ幹事役がおり,その期間が年か月によって年行事,月行事と称されているのである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「月行事」の意味・わかりやすい解説

月行事【がちぎょうじ】

〈つきぎょうじ〉とも。15世紀末の山城(やましろ)国一揆を支えた執行機関に月行事が初出。16世紀京都の祇園会(祇園祭)は町組から選出された月行事が運営にあたり,戦国期の堺・博多などの自治都市の運営はそれぞれの町組から選出された月行事などによって行われた。しかし後領主制下に把握され,町役人に位置づけられ,年寄(としより)・肝煎(きもいり)などとともに町役人名の一つとなった。
→関連項目町組

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「月行事」の意味・わかりやすい解説

月行事
がちぎょうじ

江戸の町構成員が交代で町政を担当した職務。町内の地主、家持(いえもち)が毎月交代で五人組ごとに選ばれ、自身番屋で町政事務を行った。のちには地主に雇われた地面管理人である家主(いえぬし)が増加したため、町政に加わった。事務補助者として町代(ちょうだい)(のち書役)が置かれた。事情があって名主(なぬし)の支配を受けない町は、「月行事持」として名主役を代行した。業務は町政全般に及んでいる。

[吉原健一郎]

『幸田成友著「江戸の名主」(『幸田成友著作集1』所収・1972・中央公論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「月行事」の意味・わかりやすい解説

月行事
つきぎょうじ

「がちぎょうじ」とも読み,月行司とも書く。元来,その月の行事をいう語で,宮座などで毎月交代で事務処理にあたる役職名であったが,江戸時代には,町内や商人の仲間などで毎月交代で事務をとる者,およびその役職をいう。江戸,大坂などでは,町内五人組から毎月1人ずつ交代で町名主,町年寄とともに惣会所で事務をとった。また,遊郭の毎月交代の楼主総代をもこう呼んだ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「月行事」の解説

月行事
がちぎょうじ

「つきぎょうじ」とも。1カ月交代で執務する当番の役職。中世~近世を通して,寺院・町・村・仲間などのさまざまな組織で幅広くみられる。一般にある組織で月行事が設置される前提として,組織構成員間の水平性とそれにもとづく組織運営原理の存在が指摘される。月行事と同様の役職として,1年交代の年行事,5日または10日交代の日行事があった。

月行事
つきぎょうじ

月行事(がちぎょうじ)

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旺文社日本史事典 三訂版 「月行事」の解説

月行事
つきぎょうじ

月ごとに輪番で事を執り行う人
「がつぎょうじ」「がちぎょうじ」とも読む。①室町時代,博多などの自治都市の運営に月交代であたった町衆をいう。
②江戸時代,江戸・大坂の町々で町名主・町年寄を助けるため五人組から1名ずつ月交代で出た町役人をいう。また株仲間で月交代で事務をとった役員も月行事といった。

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世界大百科事典(旧版)内の月行事の言及

【月行事】より

…《日葡辞書》に〈Guachiguiŏji ある村の代表者,あるいは,総代のような役職であって,1ヵ月間勤めるもの〉とある。このように月行事はひと月交代で執務する役職をいい,日本中世の寺院社会で僧侶が輪番で勤仕する職掌を指した。一例として1447年(文安4)延暦寺が寺領近江国得珍保(とくちんほ)今堀郷の新開田年貢免除を僧侶である学頭代,月行事の名で承認しているし,郷村間の紛争も両者で処理している。…

【町組】より

…各町組には古町(こちよう)と新町(しんちよう),親町(おやちよう)と子町(こちよう)・枝町(えだちよう)との格差が設けられていた。町(ちょう)【仲村 研】 町組には天文期(1532‐55)にすでに月行事(がちぎようじ)と呼ばれる代表者が置かれ,町の年寄が輪番で当たった。月行事は年頭に将軍らに拝礼したほか,町入費を町々に割りかける〈大割(勘定)寄合〉を催し,公武衆からは〈上下京宿老〉(《言継卿記》)などとも呼ばれた。…

※「月行事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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