曾根崎新地(読み)そねざきしんち

精選版 日本国語大辞典 「曾根崎新地」の意味・読み・例文・類語

そねざき‐しんち【曾根崎新地】

大阪市北区の地名。宝永五年(一七〇八)以後蜆(しじみ)川の南側に開発された新地近く堂島米市場があり、その繁栄策として茶屋風呂屋芝居小屋が置かれた。特に私娼街として知られ、のちに公許遊郭となった。

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日本歴史地名大系 「曾根崎新地」の解説

曾根崎新地
そねさきしんち

西成にしなり曾根崎村の南部に開発された新地で、しじみ川沿いに東から一丁目・二丁目・三丁目があった。貞享元年(一六八四)からの曾根崎川改修に伴い、宝永五年(一七〇八)新地が成立した。地子免許・一五年間無役の恩典を与えられ、地代金は入札の払切りで土地が売却された。斗代は反二石の率で、本宅分五一軒を金四千三両二歩二朱・銀二匁五分、浜先三七軒を金三八六両・銀五匁六分六厘一毛となった。

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世界大百科事典(旧版)内の曾根崎新地の言及

【新地】より

…江戸でも大坂ほどではないが,深川の埋立地を築出新地と呼んだり,尾張町1丁目新地のようにいったん火除明地になった後に町屋敷が復活した土地や,武家屋敷から町屋敷に変わった土地を俗称で新地,または新町,新屋敷と呼ぶ例は多い。大坂では新開地である新地の繁栄を図るため,茶屋,煮売屋,風呂屋,芝居小屋など遊興施設の営業を許可したため,都市の発展にともない難波新地,曾根崎新地などは大坂の中でも有数の繁華街となった。難波新地の法善寺は千日回向を行う千日寺として知られ,その門前である千日前の繁栄は近代に至るまで受けつがれている。…

【堂島】より

…97年には米市場が中之島から移転。1716年(享保1)隣接の曾根崎新地から出火して258軒が焼失したが,27年には米仲買株を許され,米仲買,両替屋が軒を並べる町になった。舟運の利便から,対岸中之島とともに諸藩の蔵屋敷が集中,堂島米市場は諸国米市場の中心的存在として,ここで立てられた相場が全国の規準となった。…

※「曾根崎新地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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