曾我五郎(読み)そがごろう

世界大百科事典(旧版)内の曾我五郎の言及

【帯引物】より

…歌舞伎舞踊の一系統。曾我五郎が親しく通う大磯の廓の傾城化粧坂(けわいざか)の少将が,五郎の父の仇敵工藤祐経が廓内にありと聞きつけ,女だてらに勇み立って駆けこもうとするのを,小林朝比奈が少将の帯を捕らえて引き止める場を舞踊化したのが〈帯引〉。その作品の一群を〈帯引物〉という。…

【助六】より

…上方の巷説が江戸にもたらされ,合して江戸の〈助六劇〉が成立,1713年(正徳3)4月山村座《花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)》で2世市川団十郎が助六に扮して初演された。再演の《式例和(やわらぎ)曾我》で助六実は曾我五郎と役名が定まり,以後は曾我の世界のものと定まり,しだいに和事味が加えられて,江戸庶民の代表的性格を帯び,後期には〈江戸っ子の先祖〉として意識化するにいたった。扮装は往時の蔵前風俗を写し,武士階級に対抗する江戸町人の理想像となっている。…

【曾我兄弟】より

…鎌倉時代の初期の武士。兄を曾我十郎祐成(すけなり)(幼名一万,1172‐93),弟を五郎時致(ときむね)(幼名箱(筥)王,1174‐93)という。平将門の乱のときの常陸国司藤原惟幾の子孫を称する工藤氏の人。伊豆の国衙有力官人として伊豆半島海岸一帯に勢力をはった有力武士団工藤氏のなかで,伊東祐親(兄弟の祖父),河津祐通(泰)(兄弟の父)父子と工藤祐経(すけつね)との間で所領相論がおこり,1176年(安元2)祐通が祐経の従者によって殺害された。…

【曾我物】より

…近松門左衛門も人形浄瑠璃のために書いたが,歌舞伎では,江戸の荒事が五郎という人物を典型化したので,代々の市川団十郎がこの役を演じた。元禄(1688‐1704)ごろの上方では,〈盆曾我〉といって7月に曾我物を上演する慣習があったが,1709年(宝永6)以後江戸では正月に曾我を演ずることが多く,享保(1716‐36)ごろからは初春の吉例となって三座ともに必ず曾我狂言を上演する習慣が生まれ(初春狂言),まったく別の世界の人物に対しても,実は曾我五郎という筋にしたりすることになった。歌舞伎十八番の《助六由縁江戸桜》の主人公が実は五郎というのはその一例である。…

【曾我物語】より

…軍記物ふうの英雄伝記物語。作者不詳。鎌倉後期から室町初期にかけての成立。伝本に真字本(10巻)と仮名本(10巻,または12巻)とがある。1193年(建久4)5月28日夜,曾我十郎祐成(すけなり)・同五郎時致(ときむね)兄弟が父の敵工藤祐経(すけつね)を討ち取った事件を中心に構成された物語で,この仇討の原因となった伊東家同族間の所領争い,祐経による兄弟の父河津三郎の暗殺,母の曾我氏への再嫁などから物語が始められる。…

※「曾我五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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