書簡体小説(読み)ショカンタイショウセツ

デジタル大辞泉 「書簡体小説」の意味・読み・例文・類語

しょかんたい‐しょうせつ〔‐セウセツ〕【書簡体小説】

手紙の形式で構成されている小説。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」、ラクロの「危険な関係」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「書簡体小説」の意味・わかりやすい解説

書簡体小説 (しょかんたいしょうせつ)

小説という散文作品のなかで手紙が主要な叙述手段であり,その手紙の全体もしくは一部が虚構の書簡で構成されたものを指す。もっとも古い形は,紀元1世紀初頭ころのローマオウィディウスの《ヘロイデス(名婦の書簡)》で,これは伝説中の美女たちと交わす書簡体の詩篇で,したがって散文ではない。20世紀においてもモンテルランの《若き娘たち》(1936-39),日本では志賀直哉の《蝕(むしば)まれた友情》(1947)などこの手法の小説は散見されるが,文学史的に見て,この技法が流行を見たのは17世紀後半から19世紀中期までの西欧文学においてである。その先駆となるのは,長らく真実の書簡集と思われていたが今日ではフランスのギユラーグ伯の作と推定される,有名な《ポルトガル文》(1669)である。18世紀に入るとイギリスではS.リチャードソンの《パミラ》(1740),《クラリッサ・ハーロー》(1747-48),T.G.スモレットの《ハンフリー・クリンカー》(1771),フランスではモンテスキューの《ペルシア人の手紙》(1721),ルソーの《新エロイーズ》(1761),ラクロの《危険な関係》(1782),ドイツではゲーテの《若きウェルターの悩み》(1774)など質・量ともに最盛期を迎え,バルザックの《二人の若妻の手記》(1841-42),ドストエフスキーの《貧しき人々》(1846)などが流行の終りを飾る19世紀の傑作である。

 17世紀後半から18世紀にかけての書簡体小説の出現は,ヨーロッパ諸国で道路網が整備され,郵便馬車による郵便制度が確立されるに伴って,手紙の交換がしだいに人々の日常生活の一部になるという社会的背景を基盤としている点では,セビニェ夫人の《書簡集》に代表される17世紀以降の書簡文学littérature épistolaireの隆盛とも無縁ではない。それまで手紙を書くことをしなかった人々を対象とした模範書簡文集の出版という当初の企画が発展して,あわれな娘パミラの物語がリチャードソンによって創作されたのも,この間の事情を示すエピソードである。

 書簡体小説の特性は,作者が手紙の発見者・編集者という形をとり,作中人物が一人称で直接に恋人や友人などに感情を込めて語りかけるという点である。それは三人称による叙述の放棄であり,ある事件を全体的展望のもとに客観的に描くのではなく,ある事件・事実に直面する作中人物が,主観的判断・感想を文通者に書き送るのである。18世紀に流行した回想録小説も一人称で語られはするが,書簡体小説では多くは,渦中にある作中人物による目下進行中の事柄の報告である点で一線を画する。文明批評的要素の濃い《ペルシア人の手紙》を含め,この〈私〉という一人称記述は,個人それぞれの感性・判断の相違を浮彫りにし,近代的自我の誕生・発展にも寄与したのである。時とともにその技法もさまざまに進化するが,その形態から,1人の人物が多くはきまった相手に送る一声型,2人が相互に手紙を交換する二声型,3人以上が入り乱れて手紙をやりとりする多声型に分類される。書簡体小説の技法上の特性をもっとも巧みに活用し成功しているのは,多声型のラクロの《危険な関係》である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「書簡体小説」の意味・わかりやすい解説

書簡体小説
しょかんたいしょうせつ

手紙形式の小説をいう。ヨーロッパで最初の書簡文学といえば、12世紀の『アベラールエロイーズ―愛と修道の手紙』であるが、のち17世紀になり、フランスのサロン生活がこの形式を流行させ、ボアチュールやセビニェ夫人の書簡集、パスカルの教義論『田舎(いなか)の友への手紙』が愛読された。この形式の親しみやすさと迫真性が小説に利用されたのは、ブルソーの『バベへの手紙』(1669)が最初であり、また、同年出版された『ポルトガル尼僧の恋文』仏訳も創作である疑いが濃い。18世紀に入ると、モンテスキューの『ペルシア人の手紙』(1721)を皮切りに無数の書簡体小説が出現するが、これは回想録形式と同様、前世紀の荒唐無稽(こうとうむけい)な恋愛小説に対する反動であった。代表的なのはクレビヨン(子)の『M侯爵夫人の手紙』(1732)、ディドロの『修道女』(1796)、ジャン・ジャック・ルソーの『新エロイーズ』(1761)、イギリスのS・リチャードソンの『パミラ』(1740)、『クラリッサ』(1747~48)だが、多くは不在の受信者にあてた一方通行の書信の形をとっている。さらにゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774)、スタール夫人の『デルフィーヌ』(1802)、オーベルマンの『セナンクール』(1804)では、ほとんど日記に近い独白文学と化し、他方、ラクロの『危険な関係』(1782)では、多数の人間間の書信の交錯が、物語形式の不自由さを克服する相対的視点を創造するに至っている。しかし、バルザックの『二人の若妻の手記』(1842)以後、このジャンルは日記形式にとってかわられ、現代ではモンテルランの『若き娘たち』(1936)があるのみである。

 日本では、消息文(しょうそこぶみ)は多様であるが、小説形式としての発展はみられなかった。

[平岡篤頼]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「書簡体小説」の意味・わかりやすい解説

書簡体小説
しょかんたいしょうせつ

手紙の形式を利用した小説。この形式は古くからみられるが,詩の方面ではローマのホラチウスを先達として,すぐれた作品があるが,散文では,S.リチャードソンによる近代写実小説の祖『パミラ』 (1740) をはじめ,多くの小説が書簡形式を用いて書かれた。フランスではこれより少し前にモンテスキューの風刺小説『ペルシア人の手紙』 (21) があり,続いて J.-J.ルソーの『新エロイーズ』 (61) ,ゲーテの『若きウェルテルの悩み』 (74) などの著名な作品が書かれた。告白的な心理表現に便宜の多い形式として,書簡体小説はその後も試みられているが,その最盛期は 18世紀にあった。 (→書簡文学 )

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