書札礼(読み)しょさつれい

精選版 日本国語大辞典 「書札礼」の意味・読み・例文・類語

しょさつ‐れい【書札礼】

〘名〙 書状の形式・文字などの一切に関して規定した書礼式。たとえば、官位・家格などによって文言を変え、また、真・行・草の書き方を異にするなどの心得。
吾妻鏡‐宝治二年(1248)閏一二月二八日「足利左馬頭入道正義、与結城上野入道日阿、相論書札礼事、被仰両方之」

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デジタル大辞泉 「書札礼」の意味・読み・例文・類語

しょさつ‐れい【書札礼】

平安時代以降、書状の書体・形式などに関するきまり。官位・家格などによって文言を変えたり、の書き方を異にするなどの心得。弘安8年(1285)の「弘安礼節」で公家様式が確立され、武家でも室町時代に整備された。

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改訂新版 世界大百科事典 「書札礼」の意味・わかりやすい解説

書札礼 (しょさつれい)

古文書学上の用語。書札および書札様文書を作成するに際して守らなければならない儀礼(書礼)と故実をいい,またそのことについて述べた書物も書札礼と呼んでいる。公式様(くしきよう)文書の状・啓あるいは中国の尺牘(せきとく)に起源を有する書札は,平安時代中・末期から漸次広く行われるようになり,それとともに綸旨(りんじ),院宣,御教書(みぎようしよ)といった書札様文書も成立をみる。このような動きに応じて《雲州消息》が編まれる。これは《明衡(めいごう)往来》ともいわれ,出雲守藤原明衡の手になる往復書簡の例文集で,以後数多くみられる往来物の最初に位するものである。《雲州消息》はまだ書札の範例集にすぎないが,平安末期に藤原忠親の著した《貴嶺問答》にいたってはじめて書札礼に関する記事がみられる。これも書札の例文を集めたもので,最後に〈消息事〉として,〈抑〉という字は行の上には書かないというような,簡単な作法8項目を記したものであるが,書札礼について記した最初の書物として注目される。ついで御室仁和寺の守覚法親王の《消息耳底秘抄》がある。これは親王が藤原忠親,三条実房に尋ねたことを記したもので,当時の書札礼の集大成である。

 鎌倉時代になると《書札礼付故実》が著され,1285年(弘安8)には《弘安礼節》が撰定される。これは亀山上皇の意を奉じて,前関白一条内経らが編纂したもので,大臣,大納言,中納言,参議,蔵人頭以下それぞれの在任の者が,他の官職を有する相手に書札を出すとき守るべき書礼を述べたものである。これは勅撰という権威のもとに,そののちながく書札礼の基準となった。このような書札礼の確立の過程は,はじめ私的な用をたすものとして成立した書札様文書が,院政の開始とともに公的な役割を担うようになり,さらに後嵯峨院政を境にして,公証公験としての地位を確保するに至ったという事情を反映するものである。すなわち書札の書礼が勅命によって定められたのは,院宣,綸旨といった書札様文書が国家最高の支配文書として用いられるようになったためである。

 鎌倉時代の書札礼はもっぱら公家のものであって,武家のものはみられない。武家として書札礼の必要性が意識されるのは室町時代になって,国政に関する朝廷の諸権限を武家が掌握してからである。3代将軍足利義満のとき,小笠原長秀などに命じて書札礼を制定したといわれている。それは現存しないが,事実として誤りはなかろう。書札の礼の厚薄は,これまで官職を中心に決定されていたが,室町時代には家格が基準とされ,それは公家だけではなく武家にも適用されている。この時代には武家一般に対する書札を説いた《書札作法抄》だけでなく,《大館常興書札抄》《細川家書札抄》など特別な家の書札礼がみられるのも特色のひとつである。さらに《二判問答》《桃華蘂葉(とうかずいよう)》《宗五大双紙》《三内口訣(さんないくけつ)》などの有職書にも,部分的に書札礼について触れられている。江戸時代になると,徳川家康が慶長年間(1596-1615)永井直勝に命じて,室町幕府のものを参考にして制定させたが,それに参加したのは細川幽斎曾我尚祐であった。尚祐は父助乗とともに足利義昭に仕えて幕府の儀礼に明るかったが,みずからも室町以来の書札礼を集大成した《和簡礼経(わかんらいきよう)》を著している。なお江戸時代中期には,伊勢貞丈が室町時代以来の家学の礼法故実をまとめた《貞丈雑記》を著したが,ここにも書札礼が細かく記されている。

 書札礼の内容は,書札に関する書礼と故実の二つから成る。書礼というのは受取人の身分によって書止め,差出書,宛書の書き方をかえることである。たとえば《弘安礼節》によれば,蔵人頭が大臣に書札を奉る場合には,直接大臣にあてるのではなく家司にあて,〈以此旨可令洩申給,仍言上如件,某頓首謹言〉という最も丁重な書止めを用い,差出書は官姓名を書き,宛書には〈進上〉という上所を用いる。ほぼ同輩の四位の殿上人に対しては,直接本人にあてて,〈執達如件,恐々謹言〉と書き止め,上所は〈謹上〉を用いる。また下輩の地下の諸大夫に遣わす場合には〈……之状如件〉と書き止め,上所は用いず,差出書は四位の人に対しては名字(自署)を,五位の人には判(花押)をすえるというようである。また直接相手にあてた場合の書止めだけをみても,〈某頓首誠恐謹言〉〈某誠恐謹言〉〈某恐惶謹言〉〈恐惶謹言〉〈恐々謹言〉〈謹言〉〈之状如件〉と7通りくらいに整理できる。つぎに故実というのは,さきに述べた〈抑〉の字の使い方がその一例であるが,書札の封式,料紙,墨色,字体など,主として文書の外形,形態に関する礼の厚薄である。封のしかた,三紙礼五紙礼などといって礼紙上巻(包紙)を何枚用いるか,どのような料紙を用いるかなどといったこと,礼を厚くするときは墨を濃くすること,また真字(楷書)を使うべきことなど,特別な慣例が行われている。

 しかしこれらの書札礼は一応の定めであって,時代により場所によって相違があり,いろいろと秘事口伝も多く,臨機応変の対応が必要である。また現在の古文書に関する知識も,多くの書札礼の記載がそのまま定説化している部分もみられ,われわれが実際に接する古文書の実態とかけはなれている面もあり,今後ひとつひとつの実例について,細かい検討が要請される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「書札礼」の意味・わかりやすい解説

書札礼
しょさつれい

書状の形式・用語などを規定した礼法式。手紙を取り交わす両者の身分的相違による礼儀を重視しようという考えから生じたもの。公家様(くげよう)と武家様の二様ある。元来は中国の『書儀(しょぎ)』などによっていたが、平安後期には公式様(くしきよう)文書が衰退し、私(し)文書の発達や有職故実(ゆうそくこじつ)学の発展に伴って、『明衡往来(めいごうおうらい)』などの書状の模範例文集がつくられるようになる一方、公家様の書札礼の書も著されてきた。それが確立されたのは1285年(弘安8)に一条家経(いえつね)らによって編まれた『弘安礼節(こうあんれいせつ)』によってである。この書は宮廷関係の礼節を定めたものであったが、書札礼について一項を設け、それが後の書札礼の典拠となった。武家様の書札礼は、公家様から派生したものであり、鎌倉末にはすでにできあがっていたらしい。室町時代になると3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)のころに整備され、武家様が書札礼の中心となった。それとともに文章作成を職業とする右筆(ゆうひつ)の力が強くなり、各家がそれぞれの流儀による書札礼を伝授するようになった。初期の『今川了俊(いまがわりょうしゅん)書札礼』や後期の『細川家(ほそかわけ)書札抄』『大館常興(おおだてつねおき)書札抄』『宗五大草紙(そうごおおぞうし)』などが代表的なものである。以後、武家様の書札礼は地方に波及し、戦国大名諸家もそれを受容し、自らの書札礼を定めていった。織豊(しょくほう)政権下でも同様で、多少の改変はあったが維持され、江戸幕府も徳川家康が慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に永井直勝(なおかつ)に命じて制定させたものが江戸時代を通じて行われた。

[海老澤美基]

『小松茂美著『手紙の歴史』(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「書札礼」の意味・わかりやすい解説

書札礼
しょさつれい

書状式文書の様式を規定したもの。文書の差出者と受取者との間の身分の高下により,用語,書体,宛名の書き方などに違いがあるが,それら文書作成上の礼儀や法式を規定している。古くは『公式令』に規定があり,鎌倉時代には『弘安礼節』が定められた。

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百科事典マイペディア 「書札礼」の意味・わかりやすい解説

書札礼【しょさつれい】

故書学用語。書状の形式等に関して規定したもの。文書の差出者と受取者の地位の差異によって,文言や書体・宛名(あてな)の書き方などは異なるが,そうした文書作成上の礼儀や技術を伝えている。最も重要な書札礼は,1285年公家において制定された《弘安礼節》である。

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旺文社日本史事典 三訂版 「書札礼」の解説

書札礼
しょさつれい

書状式文書の礼儀法式
書状は差出し書き,宛書き,日時・用件書きなど,相手によって形式が決まる。公家様式は「弘安礼節」が古く,武家もこれにならって,戦国〜江戸時代に,伊勢・今川・細川氏などの礼式が定まり,江戸時代に完成した。

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世界大百科事典(旧版)内の書札礼の言及

【寛文印知】より

…綱吉は84年(貞享1)徳川家1代のみの朱印状所持の小寺社を含めて継目安堵(つぎめあんど)を行い,大名・公家・寺社総数4878通の判物・朱印状を発給し,吉宗以後の将軍もこれに倣った。寛文印知は領知判物・朱印状・目録の文書様式と書札礼を確立したことでも画期的で,発行の形式や手続が整備され,以後の模範とされた。寛文印知の全判物・朱印状・目録の写本を翻刻したものに国立史料館編《寛文朱印留》上下がある。…

【弘安礼節】より

…1285年(弘安8)に亀山院の評定において一条内経らによって定められた公家の礼節に関する規式。内容は,大きくいって書札礼,院中礼,路頭礼の三つからなるが,古文書学上重要なのは書札礼である。亀山院政に先立つ後嵯峨院政は,中世的公家政治体制が確立された時期であるが,また書札様文書である院宣(さらに綸旨(りんじ)も)が政治文書として市民権を得た時期でもある。…

【古文書学】より

…これらは,この時代新たに成立した令外様文書に関する解説書といえる。院政の成立,ことに鎌倉中期以降本格的な院政が行われるようになると,院宣・綸旨といった書札様文書が国政の最高の文書となり,それにともなって書札礼が成立する。書札礼とは書札を調える際に守るべき形式,用語,用字などに関する礼式の総体のことで,これに関する書物も書札礼と呼んでいる。…

【手紙】より

…多岐にわたる用件は整理して,一つ書き(個条書き)にすることが普通となる。
[書札礼]
 書信は儀礼上,機密保持上,自筆が本来であるが,公文作成に堪能な能筆家,書札礼を心得た書家,物書き,右筆らが,武事多忙や運筆不得手の戦国大名らに雇われ,文案の作成,代筆,清書などに職能化した。自署のみは本人が行ったが,それも江戸中期以降は事務的な木印にて塡墨をするようになり,本人の関与は,立ち会うのみなのか判然としないほどになった。…

【奉書】より

… 書札様文書においては,信書の内容の秘密保持を目的とする封式を施すこと,さらにみずからを謙遜し,相手に敬意を表する礼的表現を採用する点においても,公式様文書,下文様文書とは著しく異なるところである。この書札の礼的表現の政治的統一をはかったのが,いわゆる書札礼(しよさつれい)である。書札礼は,執達文言の表現(執達,執啓,啓上,言上等),差出書(官,位,氏,姓,名をどれだけ書くか),上所(謹上,謹々上,進上)および脇付等の表現によって,礼の厚薄を示すが,さらに奉書か直状(じきじよう)(直書)かも礼の問題と密接な関係にある。…

※「書札礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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