更埴(読み)こうしょく

精選版 日本国語大辞典 「更埴」の意味・読み・例文・類語

こうしょく カウショク【更埴】

(更級(さらしな)郡と埴科(はにしな)郡の三町一村が合併して市制を施行したため名づけられた) 長野県北部にあった市。千曲川に沿う。昭和三四年(一九五九)市制。平成一五年(二〇〇三上山田町戸倉町と合併して千曲市となる。

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デジタル大辞泉 「更埴」の意味・読み・例文・類語

こうしょく〔カウシヨク〕【更埴】

長野県北部にあった市。昭和34年(1959)市制施行前の更級さらしな埴科はにしな両郡の名から1字とり市名とした。平成15年(2003)戸倉とぐら町、上山田町と合併して千曲ちくま市となる。→千曲

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「更埴」の意味・わかりやすい解説

更埴
こうしょく

長野県北部、長野市の南西にあった旧市名(更埴市)。現在の千曲(ちくま)市の北部一帯の地区。1959年(昭和34)埴科郡(はにしなぐん)の屋代(やしろ)、埴生(はにゅう)の2町と、更級郡(さらしなぐん)の稲荷山(いなりやま)町、八幡(やわた)村が合併して市制施行。更級・埴科両郡にわたったところから「更埴」の名がつけられた。2003年(平成15)更級郡上山田(かみやまだ)町、埴科郡戸倉(とぐら)町と合併し、千曲市となる。旧更埴市地区は、千曲川の両岸にまたがる。集落はすべて千曲川の沖積地にあり、西方は聖(ひじり)高原で知られる聖山、東方も山地で、長野盆地南西端の狭隘(きょうあい)な場所で、長野・上田両盆地を結ぶ交通上重要な位置にある。国道18号(北国(ほっこく)街道)、403号、JR篠ノ井(しののい)線、しなの鉄道が通じる。また長野自動車道の更埴インターチェンジがあり、上信越自動車道と接続する更埴ジャンクションもある。中心集落は屋代で、近世北国街道の宿駅として形成され、これを中心に国道18号沿いに発展した。もう一つの中心地である稲荷山は、近世長野市と並ぶ一大商業地であった。松本方面から長野へ入る街道の入口にあたり、各種商店が軒を並べ、いまも店構えに当時の名残(なごり)があるが、商況は衰退した。農村部は水稲リンゴチューリップなどの栽培が盛んである。森地区のアンズ姥捨山(うばすてやま)伝説と田毎(たごと)の月で有名な長楽寺、大頭(だいとう)祭で名高い武水別神社(たけみずわけじんじゃ)、川中島合戦の戦跡の一つ雨宮渡(あめのみやのわたし)など名所も多い。4月上・中旬の森地区のアンズの花祭りは多くの観光客を集める。また、同地区には森将軍塚古墳が復原されており、長野県立歴史館とともに周辺一体は科野(しなの)の里歴史公園として整備されている。

[小林寛義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「更埴」の意味・わかりやすい解説

更埴
こうしょく

長野県北部,長野盆地南西部にある地域。旧市名。 1959年屋代町,埴生町,稲荷山町,八幡村が合併して市制。 2003年戸倉町,上山田町と合併し千曲市となった。中心市街地は千曲川左岸の稲荷山地区と右岸の屋代・埴生地区に分散している。農村部は千曲川右岸では花卉とアンズ,左岸では果樹栽培や酪農が行なわれるが,耕地は全般に狭い。近年,屋代・埴生地区に機械などの工場が進出している。南西部の八幡は武水別神社 (八幡神社) の門前町で,毎年行なわれる 12月 10~14日の大頭祭は名高い。東部の山麓にある森・雨宮地区はアンズの木が多くアンズの里として知られ,開花期にはアンズ祭が行なわれる。森将軍塚古墳 (史跡) があり,雨宮坐日吉神社の神事芸能は重要無形民俗文化財。また,姨捨 (おばすて) は田毎 (たごと) の月と伝説で知られる名勝。地域の一部は聖山高原県立自然公園に属する。 JR篠ノ井線,しなの鉄道,長野電鉄,国道 18号線,403号線が通り,長野自動車道と上信越自動車道を分岐するジャンクションがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「更埴」の意味・わかりやすい解説

更埴 (こうしょく)

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