曲山人(読み)きょくさんじん

精選版 日本国語大辞典 「曲山人」の意味・読み・例文・類語

きょくさんじん【曲山人】

江戸後期の人情本作者。江戸の人。本名仙吉。別号三文舎自楽、司馬山人画名紫嶺斎泉橘(しれいさいせんきつ)筆耕として筑波仙橘など。江戸庶民の風俗生活描写。代表作に「仮名文章娘節用(かなまじりむすめせつよう)」「教外俗文娘消息」「娘太平記操早引(みさおのはやびき)」など。天保七年(一八三六)没か。

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デジタル大辞泉 「曲山人」の意味・読み・例文・類語

きょくさんじん【曲山人】

[?~1836ころ]江戸後期の人情本作者。江戸の人。本名、仙吉。別号、三文舎自楽・司馬山人など。下層町民の風俗・生活を活写し、「仮名文章娘節用かなまじりむすめせつよう」で、人情本流行をもたらした。「教外俗文娘消息きょうげぞくぶんむすめしょうそく」「娘太平記操早引むすめたいへいきみさおのはやびき」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「曲山人」の意味・わかりやすい解説

曲山人
きょくさんじん
(?―1836?)

江戸後期の人情本作者。本名仙吉。別号筑波仙橘(つくばせんきつ)、三文舎自楽(じらく)、司馬山人、文盲短斎、紫嶺斎(しれいさい)、可志丸など。江戸山下御門外筑波町河岸通りに住み、のちに墨田河畔に移る。伝はさして明らかではないが、書に巧みで筆耕を勤めていたことは確かである。また、渓斎英泉(けいさいえいせん)の門人紫嶺斎泉橘として絵にも通じていた。1827年(文政10)前後から戯作(げさく)や俳書の筆耕を勤め、同年には曲亭馬琴のもとを訪れ、以後数多くの馬琴作品の版下を書いている。そこから実作にも転じ、『虚中実話恋の萍(うきくさ)』(1829)、『当世操(いまようみさお)文庫』(1829?)、『人情其儘女大学』(1830)、『小 三金五郎仮名文章娘節用(かなまじりむすめせつよう)』(1831)、『教外俗文娘消息』(1834)、『盛衰栄枯娘太平記操早引(みさおのはやびき)』(1837)などの人情本をものしているが、なかでも『娘節用』は人情本の代表作として評価されている。なお、『娘消息』は為永春水(ためながしゅんすい)が、『操早引』は松亭金水(しょうていきんすい)が、それぞれ途中から引き継いでいる。

[武藤元昭]

『水野稔著『曲山人考』(『江戸小説論叢』所収・1974・中央公論社)』『武藤元昭著『素人作者曲山人』(『井浦芳信博士華甲記念論文集 芸能と文学』所収・1977・笠間書院)』

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改訂新版 世界大百科事典 「曲山人」の意味・わかりやすい解説

曲山人 (きょくさんじん)
生没年:?-1836(天保7)

江戸後期の人情本作者。本名は仙吉。別号は司馬山人,三文舎自楽,文盲短斎など。はじめ,筑波仙橘(せんきつ)と称して曲亭馬琴の読本の筆耕に携わっていたが,1831年(天保2)人情本としては異色な題材ともいうべき武家の世界の義理人情を描いた佳作《仮名文章娘節用(かなまじりむすめせつよう)》を発表して,戯作文壇に名を知られることになった。その後,江戸下町の町娘の恋を描いて生彩に富む風俗小説《娘消息》(1834)を発表したが,36年ごろ早世したと推定される。為永春水とならんで人情本の全盛期を代表する作者。松亭金水が遺稿をついだ《娘太平記操早引(みさおのはやびき)》第3編序(1839)には,〈大かたならざる畸人なりしが,嗚呼惜い哉不幸にして,早く黄泉の客となる〉とあり,書家として名声を博していたことも記されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「曲山人」の意味・わかりやすい解説

曲山人
きょくさんじん

[生]?
[没]天保7(1836)頃
江戸時代後期の戯作者。伝未詳。別号,三文舎自楽,司馬山人。書をよくし,筑波仙橘の名で滝沢馬琴の読本,為永春水の人情本などの筆耕をつとめている。御家人のしろうと作者と思われる。その作,人情本『仮名文章娘節用 (かなまじりむすめせつよう) 』は文政期の人情本に清新の風を吹込み,為永春水の『春色梅児誉美 (うめごよみ) 』を誘発した。このほかには,人情本『人情其儘女大学』 (1829~30) ,『教外俗文娘消息』 (34) ,『娘太平記操早引 (みさおのはやびき) 』 (37) があるのみ。滑稽本『裏店滑稽年中行事』の名が広告にみられるが,出版されたか否か疑問。

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百科事典マイペディア 「曲山人」の意味・わかりやすい解説

曲山人【きょくさんじん】

江戸後期の人情本作者。本名は仙吉。筑波仙橘の名で曲亭馬琴為永春水らの作品の筆耕をしていた。別号を三文舎自楽など。《仮名文章娘節用(かなまじりむすめのせつよう)》を書いて文名をあげ,為永春水とならぶ人情本全盛時代の代表的作者となる。他に《娘消息》など。

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朝日日本歴史人物事典 「曲山人」の解説

曲山人

没年:天保7?(1836)
生年:生年不詳
江戸後期の人情本作者。享年は四十数歳。本名は仙吉。司馬山人,三文舎自楽などの別号がある。はじめ文政10(1827)年ごろから筑波仙橘と称して筆耕を務めたが,同12年ごろから自作の刊行を始め,天保2(1831)年に『仮名文章娘節用』を刊行して一躍人情本の土台を築いた作家となり,為永春水と並び称された。その作風は極めて情感に溢れた文章表現に支えられ,人情本特有の低俗で嫌みな気分や,取って付けたような教訓臭などのない平淡な情趣を持つと評されている。

(中野三敏)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曲山人」の解説

曲山人 きょくさんじん

?-? 江戸時代後期の戯作(げさく)者。
江戸の人。筆耕を業とし,文政のころ滝沢馬琴(ばきん)らの版下を浄書する。人情本の実作に転じ,天保(てんぽう)2年(1831)の「仮名文章娘節用(かなまじりむすめせつよう)」が好評を博した。7年40代で死去したといわれる。名は仙吉。別号に司馬山人,三文舎自楽,筑波仙橘(せんきつ)など。作品はほかに「女大学」「恋の萍(うきくさ)」など。

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世界大百科事典(旧版)内の曲山人の言及

【人情本】より

…みずから〈東都人情本の元祖〉と名のった春水は,《春色梅児誉美》にひきつづいて,深川芸者の意気地と張りを描いた《春色辰巳園(たつみのその)》(1833‐35),富裕な商家の若旦那と小間使の恋をつづった《春告鳥(はるつげどり)》(1836)などの佳作を発表するが,殺到する注文に応ずるために門弟を動員した合作体制をとった37年以降の作品には見るべきものが乏しい。人情本作者としては春水のほかに,《閑情末摘花(かんじようすえつむはな)》(1839‐41)の松亭金水,《仮名文章娘節用(かなまじりむすめせつよう)》(1831‐34)の曲山人らがあげられるが,天保の改革の際に風俗を乱すものとして春水が処罰されてからは,ジャンルとしての生命を失っていく。なお,町人の日常生活を写実的に描いた人情本の作風と,会話と地の文とを分けて書く形式とは,明治の文学に少なからぬ影響を与えた。…

※「曲山人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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