景清(読み)かげきよ

精選版 日本国語大辞典 「景清」の意味・読み・例文・類語

かげきよ【景清】

[1]
[一] 平景清(たいらのかげきよ)
[二] 謡曲。四番目物。各流。作者不詳。平家滅亡後、日向国宮崎に流されて盲目の乞食同様になった平景清を尋ねて、娘の人丸(ひとまる)が鎌倉から訪れる。
[三] 幸若曲名。悪七兵衛景清は源頼朝を討とうとして果たさず、牢につながれるが破って出、舅(しゅうと)の難を恐れて再び戻る。そして六条河原で切られることになるが、報復の念を絶ち、両眼をえぐって西国に行くことになり、清水に参ると、両眼が元通りになる。やがて、日向宮崎荘に移って、長命を保った。のちの浄瑠璃歌舞伎に大きく影響した。
[四] 歌舞伎十八番の一つ。「菊重栄景清」として、元文四年(一七三九)二世市川団十郎が初演。荒事の一つ。
[五] 歌舞伎所作事。長唄・常磐津。通称「五条坂の景清」。三世桜田治助作詞。十世杵屋六左衛門・岸沢式佐作曲。天保一〇年(一八三九)江戸中村座初演。四世中村歌右衛門と岩井粂三郎の八景の所作事「花翫暦色所八景(はなごよみいろのしょわけ)」の一つ。景清が五条坂の阿古屋のところへ通うさまを舞踊化する。
[六] 歌舞伎所作事。常磐津。俗称「へちまの景清」。二世桜田治助作詞。岸沢古式部作曲。文化一〇年(一八一三)江戸森田座初演。七世市川団十郎の八景の所作事「閏茲姿八景(またここにすがたはっけい)」の一つ。羽織姿の景清が、八島の軍話を廓話になぞらえて物語る。
[2] 〘名〙
① ((一)(一)が「悪七兵衛」といわれるところから) 通人をよそおって悪事をはたらく人。また、悪事、悪だくみ。江戸時代、安永天明一七七二‐八九)頃の語。
洒落本・後編風俗通(1775)金錦先生進学解「若(もし)大通向へ廻って狂言を書、景清(カケキヨ)を働くに及ては則大騒動也」
② 魚「あかまつかさ(赤松笠)」の異名。
③ 魚「いっとうだい(一等鯛)」の異名。
④ 魚「ぐそくだい(具足鯛)」の異名。
⑤ 魚「きんときだい(金時鯛)」の異名。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「景清」の意味・読み・例文・類語

かげきよ【景清】

平景清たいらのかげきよ
能・浄瑠璃・歌舞伎などの景清物主人公源頼朝打倒を目ざして果たさなかった平景清の哀話は、浄瑠璃「出世景清」「壇浦兜軍記だんのうらかぶとぐんき」などに描かれている。
謡曲。四番目物平家物語などに取材。日向ひゅうがへ流された悪七兵衛景清が娘と再会するが、屋島の戦いを回顧し、回向えこうを頼んで娘を帰す。
歌舞伎十八番の一。藤本斗文作。元文4年(1739)江戸市村座で「菊重栄景清きくがさねさかえのかげきよ」として初演。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「景清」の意味・わかりやすい解説

景清 (かげきよ)

(1)幸若舞曲の曲名。作者,成立年次不詳。上演記録の初出は1554年(天文23)(《証如上人日記》)。上下に分かれる。上だけを《景清》,下を《籠破(ろうやぶり)》として独立した本もある。悪七兵衛景清(平景清)は東大寺再建の供養のおり,頼朝を暗殺しようとして何度もねらうが,畠山重忠に妨害されて果たさず,都に上って清水の遊女阿古王のもとに身を寄せる。阿古王が訴人し,追手に囲まれた景清は2人の間の子どもを殺害し,包囲を突破して姿を消す(上巻)。その後,景清は舅の熱田大宮司を頼って尾張に下るが,大宮司が捕らえられると,自首して牢につながれる。景清は,清水観音の助けで厳重な牢を破る,斬首されると観音が身代りに立つ,などの奇跡を現し,頼朝も感じてこれを許し,領地として日向宮崎荘を与える。景清は報復の念を絶つため,みずから両眼をえぐり,宮崎荘に下って長寿を保ち,大往生を遂げる(下巻)。テキストによっては,開眼説話を伴うものがある。景清の名は《平家物語》諸本に見えるが,延慶本,長門本には降人となった景清が大仏供養の日に湯水を絶って干死したとある。本曲と内容が類似する謡曲に《景清》《大仏供養》《籠景清》などがあって,これらの景清説話は日向の盲僧集団などによって育てられたものと推定されている。なお,江戸期には近松の《出世景清》,文耕堂の《壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)》,歌舞伎十八番の《景清》などがあってその影響は大きい。
執筆者:(2)能の曲名。四番目物。作者不明。シテは悪七兵衛景清。景清は,源平の戦乱後日向の宮崎荘に下り,盲目の琵琶法師となって乞食の生活を送っている。うわさを聞いた娘の人丸(ツレ)が鎌倉からたずねてくるが,景清はわざと他人のように応対する。しかし人丸が里人(ワキ)に伴われてまた訪れるので,かたくなな心を和わらげて対面し,しみじみと言葉を交わす。景清は娘の頼みに応じて,屋島の合戦で敵方の三保谷四郎(みおのやのしろう)と力競べの錣引(しころびき)をした武勇談をして聞かせ(〈中ノリ地〉),涙ながらに別れを告げて鎌倉へ帰す。中ノリ地が中心だが,その前後の親子の情愛の描写もこまやかである。なお景清の初めの述懐は,〈松門(しようもん)の謡〉と称して特殊な節付けである。人形浄瑠璃《嬢(むすめ)景清八島日記》などの原拠。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「景清」の意味・わかりやすい解説

景清【かげきよ】

能の曲目。四番目物。人情物。五流現行。敗残の老武将の悲哀を描く能。源平合戦の栄光の日々を,訪れた娘を前に盲目の乞食(こじき)となった平景清が語る。演劇的にも心理的にも成功した能。近松門左衛門の《出世景清》以下の後世の演劇に影響を与え,〈景清物〉と総称される一連の作品群を生み出した。歌舞伎でも行われる人形浄瑠璃《壇浦兜軍記》《嬢景清八島日記》ほか,歌舞伎十八番の《景清》,歌舞伎舞踊《景清》(通称《へちまの景清》常磐津節)などが有名。
→関連項目現在能平景清

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「景清」の意味・わかりやすい解説

景清
かげきよ

(1) 能の曲名 四番目物。作者未詳。鎌倉に住む人丸 (ツレ) は,日向に流された父悪七兵衛景清 (シテ) を求めたずねて下る。乞食となってわら屋に住まう盲目の景清は,ようやく父を捜しあてた娘にわが身を恥じて名のろうとしない。里人 (ワキ) のとりなしで親子は名のり合い,景清は屋島の合戦,錣引 (しころびき) の物語 (語り) を聞かせて娘を返す。 (2) 幸若舞 景清が東大寺大仏供養の場で源頼朝の命をねらいながら果せずに捕えられ,牢破りから日向へ下るまでを描く。 (3) 歌舞伎 同じ景清を題材として,元文4 (1739) 年江戸市村座初演『初もとゆい通曾我 (はつもとゆいかよいそが) 』の『菊重栄景清 (きくがさねさかえかげきよ) 』をもとにして天保 13 (1842) 年に7世市川団十郎が『歌舞伎十八番の内景清』とした。 (4) 歌舞伎舞踊 文化 10 (13) 年に八変化舞踊『閏茲姿八景 (またここにすがたのはっけい) 』で常磐津の『へちまの景清』,天保 10 (39) 年同じく八変化『花翫暦色所八景 (はなごよみいろのしょわけ) 』に長唄・常磐津掛合の『五条坂の景清』として上演された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「景清」の解説

景清
〔長唄〕
かげきよ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
桜田治助(3代)
演者
杵屋六左衛門(10代)
初演
天保10.3(江戸・中村座)

景清
(通称)
かげきよ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
泰平出世景清 など
初演
宝永3.11(江戸・山村座)

景清
かげきよ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
岡本綺堂
初演
大正4.11(東京・新富座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「景清」の解説

景清

古典落語の演目のひとつ。上方種。三代目三遊亭圓馬によって東京に移された。「入れ眼の景清」「めくら景清」とも。八代目桂文楽が得意とした。主な登場人物は、盲人。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android