時の間(読み)トキノマ

デジタル大辞泉 「時の間」の意味・読み・例文・類語

とき‐の‐ま【時の間】

ほんの少しのあいだ。つかのま。「時の間の出会い」
[類語]短いしばらしば暫時少時ひとしきり束の間瞬く間見る間に刹那咄嗟とっさ一時いっとき一時ひととき半時寸陰短時間一時一時的かりそめ短日月短時日一朝一朝一夕寸刻寸時寸秒片時かたとき瞬時瞬間一瞬数刻たまゆら須臾しゅゆ電光石火はかないあっと言う間間髪をれず

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精選版 日本国語大辞典 「時の間」の意味・読み・例文・類語

とき【時】 の 間(ま)

少しの間。ほんのしばらくの間。ちょっとの間。時の程。
古今(905‐914)恋二・五九三「夜ひ夜ひにぬぎてわがぬるかり衣かけておもはぬ時のまもなし〈紀友則〉」
源氏(1001‐14頃)桐壺「時のまも、おぼつかなかりしを、かくても月日は経にけり」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「時の間」の意味・わかりやすい解説

時の間
ときのあいだ
Zwischen den Zeiten

最初はドイツ神学者ゴーガルテンの小論文に付された表題であったが,1922年から 33年までの 10年間バルトトゥルナイゼン,ゴーガルテンをはじめブルンナーメルツブルトマン,バルトの弟ハインリヒなどの神学者,哲学者らに加えて教育学者,医学者らが参加した機関誌の表題として広く知られるようになった。「時の間」とは,初めゴーガルテンにとっては 1920年という時を問題としたものであったが,やがてキリスト復活再臨の間の時というバルトらの時間解釈を表わすものとして知られるようになった。ゴーガルテンがドイツ・キリスト者に加担したため,バルトは彼と決別し,この機関誌は廃刊になった (→中間時 , 中間倫理 ) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「時の間」の意味・わかりやすい解説

時の間 (ときのあいだ)
Zwischen den Zeiten[ドイツ]

K.バルト,E.トゥルナイゼン,F.ゴーガルテン,メルツG.Merzを共同編集者として,1922年から隔月発行された神学雑誌。その数年前から彼らを中心として動きはじめていた〈弁証法神学〉と呼ばれる新しい神学運動がこの雑誌によって推進された。しかし,やがてゴーガルテンがドイツ・キリスト者信仰運動に接近し同調するに及んで,バルトとの間に対立が生じ,33年に廃刊となった。
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世界大百科事典(旧版)内の時の間の言及

【トゥルナイゼン】より

…クッターH.Kutter,C.ブルムハルトの影響を受け,バルトらとともに〈弁証法神学〉の運動を始めた。同運動のための1922年発刊の雑誌《時の間》にも共同編集者として加わった。30年からバーゼル大学教授として勤務するかたわら,同地のミュンスター教会牧師。…

【バルト】より

…それはさらに根本的に書き改められて,22年に再版されるが,これが大戦後の神学界に強烈な影響を与え,やがて〈弁証法神学〉という名で呼ばれる新しい神学運動の出発点となる。 21年にバルトはゲッティンゲン大学に招かれて,神学教師としての道を歩きはじめるが,22年にトゥルナイゼン,メルツG.Merzと共同編集で雑誌《時の間》を発行。バルトはこれに次々と有力な論文を発表して,その思想を展開していった。…

【弁証法神学】より

…F.ゴーガルテンはこれに共鳴して《我は三一の神を信ず》(1926)を著し,E.ブルンナーは《神秘主義と言葉》(1924)を著した。さらにE.トゥルナイゼンやメルツG.Merz(1892‐1959)も加わって,1922年に雑誌《時の間》を刊行した。 しかしやがてゴーガルテンは民族性重視に傾いて脱落し,ブルンナーは自然神学の問題で渡り合い,R.K.ブルトマンは実存論的解釈学を主張して別れ,バルトのもとに最後まで残った盟友はトゥルナイゼン一人であった。…

※「時の間」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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