日本大百科全書(ニッポニカ) 「昔話」の意味・わかりやすい解説
昔話
むかしばなし
民間説話あるいは口承文芸の一類で、伝説・世間話とともに、民間に行われる代表的な常民の文芸をいう。英語folk tale、フランス語conte populaire、ドイツ語Märchen、Erzählung、中国語の民間故事、などの同義語として扱われる。わが国の場合、昔話の語は、本来は学術用語で、民間にあっての昔話そのものの呼称は、「ざっとむかし」「とんとむがし」「むかし」「むかしこ」「むがしがだり」「むんがたり」「むんがて」「むかしもん」など多様である。
[関 敬吾]
昔話の概念
昔話は固有の伝承の形式をもつ。冒頭句の、「むかしむかし」「むかしあったげな」「むかしあったずもな」「むかしあったけじょん」などで語り始め、「どっとはらい」「どんぺからこねけど」「これでいっちごさっけ」「とんぴんぱらりんのぷ」などの、特定の結句も有する。昔話が伝説・世間話と著しく異なるところは、冒頭と結びの相対応する語句によって、その物語の開始と終結を告げる、この結構による。
昔話の研究はグリム兄弟により始められた。グリムは、1812年に、庶民の間に伝承されたメルヒェンを収集し、科学研究のために定義を与えた。ここにいうところのメルヒェンは、創作童話Kunstmärchen(書かれた話)に対して語る物語をさす。メルヒェンは、本来はメーレMäreの指小詞である。メーレはニュース、報告を意味し、中世では物語を語るという意味で使用されている。
グリムによれば、メルヒェンは詩的であり、伝説Sageは歴史的である。昔話はまったくそれ自身で開花し、完成しているが、伝説は色彩に乏しく、なんらかの既知のもの、意識されたもの、場所あるいは歴史によって確実にされた名前に密着するという特殊性をもつ、とされる。このことばは、昔話の概念規定の出発点を示している。
また、グリム昔話の解説者であるボルテJohannes Bolte(1858―1937)も、昔話と伝説を対比し、1920年に以下のように述べた。
〔1〕伝説は現実性を与えようとする要求を高め、聞き手の信仰を求める。これに対し、娯楽を意図する昔話は、世俗的な事件にこだわらない。〔2〕伝説は、歴史的事件・人物、あるいは周辺の一定の事物・山・海・樹木・建物に絡みつく。これに反し、昔話は、時間や空間に結び付かず、事物の名前の大部分を放棄する。〔3〕昔話の語り方は、「むかしむかしある所に」で始まり、最後は、昔話そのものの終了、主人公の幸福、悪人の懲罰を意味することばで終わる。さらに一定の繰り返し、三の数および三段階の展開、事件の高揚などの、叙事の法則がある。ボルテのこの〔1〕信憑(しんぴょう)性、〔2〕依存性・定着性、〔3〕形式(様式)の有無を基準とした昔話の概念規定、範囲の基準は、以後の昔話研究に多大の貢献をなした。わが国の昔話研究の先駆者柳田国男(やなぎたくにお)にも、その影響は認められる。
なお、1910年にアンティ・アールネが行ったタイプ目録編纂(へんさん)は、昔話研究に大きな足跡を記した。アールネは、昔話の比較研究を目的に、動物昔話、本格昔話、笑話の三群に分類した。ついで、1928年、スティス・トムソンはこのタイプ目録を翻訳、補充し、後年さらに補充して、民間文芸のモチーフ索引を編し、比較研究の基盤をつくった。トムソンは、アールネの広義のメルヒェンをfolk taleとよび、そのタイプ数を585から3345種に更新し、タイプ番号によって整理・分類した。モチーフ索引は約4万に及びアルファベットと数字の番号で示される。このAT(Aarne-Thompson)番号は、今日、昔話の比較、分布、その存在の照合などにとって、基本的な手引ともされる。
[関 敬吾]
昔話の特性
近年、わが国では、昔話資料の採集が進み、昔話の伝承的特性がしだいに明らかになりつつある。以下に取り上げてみよう。(1)昔話には、物語を語るに際し、それに先駆けていう特定のことばがある。いわゆる前置きのことば、あるいは誓詞ともいいうべきことばである。鹿児島県大隅半島では、「むかしのことなれば、あったかなかった知らねども、なかったこともあったことにして聴いてくれ」という。山形県最上(もがみ)地方では、「むかしむかし、あったかなかったか知らねども、あったことにして聞かずばなるまい」ということばが残されている。いずれも、昔話の場に臨むに際しての、戒めの意が込められている。これらには、神語りの印象にも通う独自の韻律が内在する。(2)昔話には、語りの順序があり、相応の手続がある。最初に語る昔話があって、語りの場を形成する。こうした特別の機能を有する昔話には、「河童(かっぱ)火やろう」などが話の三番叟(さんばそう)の名称で行われる。ここには、昔話の雰囲気をつくりだし、語りの場を盛り上げる目的があり、特殊な語りことばの響きが求められる。(3)昔話が語り出されると、聴き手に対して相槌(あいづち)が要求される。相槌のことばは土地により著しく異なる。山形県庄内(しょうない)地方では「おでやれ、おでやれ」、山形県内陸部では「おっとう」と応じる。佐渡では「さーす」「さーそ」、新潟県長岡(ながおか)市栃尾(とちお)地区では「さあんすけ」、奄美(あまみ)の徳之島では「はいはい」と応じている。これらはみな特殊な非日常のことばであるともいえる。(4)昔話には、語りの場に特定される聴き手のことばがある。語り手に対して語りを催促することばと、語り終わったことに対するねぎらいのことばである。語りを促すのは、「こどでや、こどどや」「もしとず、もしとず」など、語りを延長させ、語りの場をより充実した言語空間にするべく、催促する仕儀がみられる。一方、語りが終結に向かい、無事に収束した場合には、聴き手の「ご苦労でやした。おもしろうござった」「かたじけのうやした」などの、語り手への慰労の礼詞がある。(5)昔話には、元来、昔話を語ること自体に、厳しい制約や禁忌事項が付随する。とくにわが国全域にみられるものに、「昼むかし」の強い禁止がある。すなわち、不用意に日常的な昼間に昔話を語るな、という禁忌である。これは、昔話が、伝統的に、夜に語られるものであり、庶民の間の神聖な夜(よ)語りの存在を明瞭(めいりょう)にしている。この夜語りの神聖さを侵犯した場合には、「ねずみが小便する」「天井(てんじょう)のお姫さんに小便かけられる」「嫁入り道具が燃える」「舟に乗ると難破する」など、身辺に不穏・不吉な事態の発生を予告され、制裁さえにおわされる。
また、昔話には、特定の時を選ぶと同時に、その季節や語りの場の直截(ちょくせつ)な言い継ぎのことばがある。「節供すぎての馬鹿むがし」「炬燵(こたつ)とれての馬鹿むがし」「昔話は庚申(こうしん)の宵(よい)」「正月語りは七嶺七沢(ななみねななさわ)潤う」など、昔話が聖なる日である正月・節供や、神ごとの夜籠(よごも)り講などの場を選んで行われたことが知られる。これらを侵した者は、共同体の秩序を乱した者として、共同体からの放逐、「七嶺七沢追われる」事態もありえた。それは、農耕生活者として、共同体が維持してきたハレの日の特定される日に、昔話が不可欠なものであったことを如実に示す。
昔話は、このような語りの厳粛な姿を、語りの収束にあたっても保持している。たとえば、「百物語は化け物が出る」「百物語すると囲炉裏端(いろりばた)の猫が化ける」など、長時間にわたる語りを忌避する地方もある。昔話の場には、語りの冒頭から終結まで、禁忌やそれを侵犯した際の制裁がある。語りの場には、その崩壊を防ぐための戒めも、同時に伝え残しているのである。そこには、昔話が非日常の言語活動でありえたことの印象が強くうかがえる。(6)昔話には、語りの条件を具備し、語りを継承する「語り婆(ばば)さ・語り爺(じじ)さ」がいる。いわゆる語り手である。日本の各地には、語りを数多く継承する語り手が存在し、古老とよばれ、人々から尊敬された。語り手は、共同体のなかの、重きを置かれる家筋や家系の出自であった。語り手は、きわめて記憶力がよく、共同体の過去に通じ、とりわけ祭祀(さいし)や農事にかかわる伝承に富む人々であった。百話クラスの語り手のなかには、生涯にわたり文字を必要としなかった媼(おうな)も存在する。
昔話は、多く囲炉裏端で行われる。囲炉裏火の前、ヨコザ・カミザとよばれる主人の座居する正面、あるいは水屋や納戸(なんど)を背にして、囲炉裏火に対する主婦の座、カカザから、客の座とされるキャクザ、家で働く人々や若い者たちの座るシモザに向けて行われる。聴き手は、キャクザやシモザに端座し、あるいは地方によっては被(かぶ)り物で身体を覆い尽くした寝姿で、昔話を享受した。語りの場では、語り手の座居する姿・形ですら見逃してはならない。(7)昔話はまた、伝承的な形式を踏襲する共同体の語りとは別に、作業小屋、木小屋、漁小屋、糸繰(いとく)り小屋、月事(つき)小屋、産(さん)小屋などで、同年齢集団・同性集団により行われた。また、村落に出入りした漆かき、桶(おけ)屋、鍛冶屋(かじや)、石臼(いしうす)・鋸(のこぎり)の目立(めたて)、木地(きじ)屋、籠(かご)売り、魚売り、薬売り、芸人、宗教者などが遠隔地から話柄(わへい)を運び、定着した昔話として受容された例もある。こうした人々のなかには、一定期間村落に停留して村人と交流し、世間の異事・異聞を語り、それを身過ぎ世過ぎとした人々もある。
芸能に通じた者たちが祭礼に集まってくる場合もある。河川の増水で橋が流出し、旅の人々が足をとめた際に、昔話を残したという例や、疫病が大流行したおりに、避難してこもった寺院や堂社で昔話を行ったという例もあった。こうした例は、わが国に限らず、世界各国でも行われた。
[関 敬吾]
昔話の分類
わが国の昔話の分類は、世界の昔話研究動向と深くかかわる。柳田国男は、1934年(昭和9)「昔話の分類に就いて」(『旅と伝説』)を著し、わが国昔話分類研究の嚆矢(こうし)となった。なお、柳田に先んじて試みられた遠野(とおの)の佐々木喜善(きぜん)の5種類の説話群の分類は、いまだ概念規定が確固としたものではなく、客観的基準とはなしえなかった。1948年(昭和23)柳田は『日本昔話名彙(めいい)』を上梓(じょうし)し、その独自の見解を体系づけた。これによって、わが国の昔話分類研究は第一歩を踏み出した。
柳田は、日本の昔話を(1)完形昔話、(2)派生昔話に大きく分類し、整理した。その大要は以下である。(1)完形昔話 誕生と奇瑞(きずい)――桃太郎・力(ちから)太郎・瓜子姫(うりこひめ)など。不思議な成長――蛇息子・田螺(たにし)長者など。幸福なる婚姻――隣の寝太郎・牛の嫁入など。継子(ままこ)譚――糠福米福(ぬかぶくこめぶく)・紅皿欠皿(べにざらかけざら)など。兄弟の優劣――兄弟話・弟出世など。財宝発見――五郎の欠椀(かけわん)・宝物の力など。厄難克服――鬼むかし・食わず女房など。動物の援助――聴耳(ききみみ)・金の扇銀の扇・分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)など。ことばの力――化物(ばけもの)問答・大工と鬼六(おにろく)など。知恵のはたらき――狐(きつね)退治・姥棄(うばすて)山など。(2)派生昔話 因縁話――歌い骸骨(がいこつ)・運定め話など。化物語――ちいさい小袴(こばかま)・化物退治など。笑話――大話・真似(まね)そこない・愚かな村話など。鳥獣草木譚(たん)――雀(すずめ)孝行・時鳥(ほととぎす)と兄弟・動物競争・尻尾(しっぽ)の釣・かちかち山など。その他(昔話と伝説の中間をゆくもの)――百合若(ゆりわか)大臣・産女(うぶめ)の礼物・長柄(ながら)の人柱など。
以上から、柳田の完形昔話はほぼ本格昔話と一致し、人の一生の物語を意図するものと考えられる。完形昔話の主人公は、いずれの場合も、小(ちい)さ子として異常かつ不思議な出生と成長を遂げる。すなわち、小さなうつろな入れ物の中から、きわめて小さな姿の幼子(おさなご)として誕生し、異常な成長をみせ、いくつかの厄難に遭遇し、やがて幸福な婚姻に至る。これを人の一生の完結とみなし、完形昔話とした。そのほかは、すべてこれらの派生であるとしたのである。
一方、関敬吾は、国際的な視野から、昔話の分類・整理を行った。それは、1959年の『日本昔話集成』、1980年の『日本昔話大成』に示され、比較研究を目的にした分類基準である。関は、前述のアールネ‐トムソンの分類に基づいて、日本の昔話資料の整備を行い、ヨーロッパの昔話資料に照合検索をなしうるようにした。すなわち以下のように分類し、AT番号を付して西欧と照応させた。(1)動物昔話 動物葛藤(かっとう)――魚泥棒・尻尾の釣など。動物分配――狸(たぬき)と兎(うさぎ)と川獺(かわうそ)・狐と狸と兎など。動物競争〔1〕――田螺と狐・十二支の由来・蚤(のみ)と虱(しらみ)の駆け足など。動物競争〔2〕――猿蟹餅(さるかにもち)競争・猿と蟇(がま)の餅泥棒など。猿蟹合戦――猿の夜盗・猿と蟹の寄合田など。かちかち山――かちかち山など。古屋の漏(もり)――古屋の漏。動物社会――鼠(ねずみ)と鼬(いたち)の寄合田・猿の生肝(いきぎも)など。小鳥前生――時鳥と兄弟・雀孝行など。動物由来――犬の脚(あし)・雁(がん)と亀(かめ)など。(2)本格昔話 婚姻・異類聟(むこ)――蛇聟入など。婚姻・異類女房――蛇女房・蛙(かえる)女房など。婚姻・難題聟――絵姿女房など。誕生――田螺息子・蛙息子など。運命と致富――炭焼長者・産神(うぶがみ)問答など。呪宝(じゅほう)譚――聴耳・犬と猫と指環(ゆびわ)など。兄弟譚――3人兄弟・奈良梨採(なしと)りなど。隣の爺――地蔵浄土・鼠浄土など。大歳(おおどし)の客――猿の長者・宝手拭(てぬぐい)など。継子譚――米福粟(あわ)福・皿々山など。異郷――竜宮童子・浦島太郎など。動物報恩――狼(おおかみ)報恩・猫檀家(だんか)など。逃竄(とうざん)譚――三枚の護符など。愚かな動物――鍛冶屋の婆・猫と南瓜(かぼちゃ)など。人と狐――尻(しり)のぞき・山伏狐など。(3)笑話 愚人譚――愚かな村・愚か聟・愚か嫁・愚かな男など。誇張譚――八石山(はちこくやま)・源五郎の天のぼりなど。巧智(こうち)譚――仁王(におう)と賀王(がおう)など。狡猾(こうかつ)者譚――烏(からす)と雉子(きじ)など。形式譚――廻(まわ)りもちの運命など。
二者の分類は以上であるが、柳田は、完形昔話に昔話の古型もしくは古態をみいだし、派生昔話に二次的な物理的時間の経過をみている。これに対し、関は、三つの昔話群を並存するものとして位置づけた。しかも、三つの昔話間には、いっさいの時間的差異・優劣は認めていない。
[関 敬吾]
『柳田国男監修、日本放送協会編・刊『日本昔話名彙』(1948)』▽『関敬吾編著『日本昔話大成』全12巻(1978~80・角川書店)』▽『『関敬吾著作集 6 比較研究序説』(1982・同朋舎出版)』▽『野村純一著『昔話伝承の研究』(1984・同朋舎出版)』▽『小沢俊夫著『世界の民話25 解説編』(1978・ぎょうせい)』