易学(読み)えきがく(英語表記)Yì xué

精選版 日本国語大辞典 「易学」の意味・読み・例文・類語

えき‐がく【易学】

〘名〙 易を研究する学問占いの学問。
※運歩色葉(1548)「易学 エキガク」

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デジタル大辞泉 「易学」の意味・読み・例文・類語

えき‐がく【易学】

易に関することを研究する学問。

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改訂新版 世界大百科事典 「易学」の意味・わかりやすい解説

易学 (えきがく)
Yì xué

中国,儒教経典易経》に関する解釈学をいう。《易》は完結した1個の小宇宙でありながら,〈易は典要をなすべからず〉(一定不変の法則で易を括(くく)れない。《易》繫辞けいじ)伝の語)という背理を内包している。卦とそれに付された占断の辞とのつながりに恣意的なものが多いし,占断の辞それ自体も短くて謎めいている。また,64卦の配列も無秩序である。しかし逆にいえば,それはどのような解釈をも受容しうることを意味する。実際《易》は,宇宙から人事までを包括する大きな器なのである。《易》注が他の経書の注釈に比してはるかに多く,時代の風潮や注釈者個人の精神のありようを敏感に反映するのも,この事情と無縁ではない。

 《易》が五経のひとつとして国家公認のテキストとなった漢代の易学は,〈漢易〉の名で呼ばれる。それは64卦を1年の暦に配当し,ある卦はある季節,月,日を支配するから政治もその卦の示すイメージに沿って行っていかねばならない,とするものであった。このような易学は孟喜や京房によって唱えられたが,その底を流れるものは当時流行の天人相関説で,そこでは《易》は天と人事とをつなぐ媒介としてとらえられている。後漢の荀爽(じゆんそう)や三国呉の虞翻(ぐはん)になると,卦爻(かこう)にさまざまな操作を施して卦と経文の関係を合理化しようとした。このような呪術的,技術的な漢易に対し,《易》を哲学の書,智慧の書としてとらえなおしたのが魏の王弼(おうひつ)である。彼の易注は《老子》臭があるとして後の儒者から非難されたが,《易》を煩瑣な魔術から解放し,国家の命運から個人の生き方の側に奪い返したところに,彼の仕事の画期的な意味がある。このような《易》解釈を漢易の〈象数易〉に対して〈義理易〉と呼ぶことがある。

 宋代になると,《易》の陰陽哲学,太極論,宇宙論などが〈道学〉(新儒教)の形成に大きな影響を与えたが,易注についていえば,まず程頤(ていい)(伊川)の《易程伝》を挙げねばならない。この仕事は自己の哲学によって《易》を解釈したもので,そこには程頤晩年の深い思索の跡が刻まれており,正弼注とならぶ義理易の双璧である。この時代にはまた一方で,象数易の再生を企てた邵雍(しようよう)(康節)が現れたことも看過できない。南宋朱熹(子)は《周易本義》を著し,《易》は卜筮(ぼくぜい)の書にほかならぬと主張した。彼によれば,占者の問いに応じて《易》から投げ返された卦爻辞は,答えであると同時に占者に対する新たな問いであり,それによって占者は,自分がその辞にふさわしい人間かどうか内省を迫られるというのである。朱子は象数・義理が未分の原初の姿に《易》をもどすことによって,これを倫理の書として活用しようと考えたのであった。明代には来知徳の易注のほかにはみるべきものがないが,天台の教義によって《易》を解釈した藕益智旭(ぐうえきちぎよく)の《周易禅解》が異色である。考証学の栄えた清朝では,易学の分野でも胡渭(こい),恵棟(けいとう),焦循(しようじゆん)などが輩出し,漢易の復元につとめたが,易注を通して自己の気一元論的世界観を展開した,明末・清初の王夫之(船山)が異彩を放っている。なお,スイスの深層心理学者C.G.ユングとその派の人々が《易》のメカニズムに大きな関心を寄せているのは,《易》の現代的意義を考えるうえで注目される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「易学」の意味・わかりやすい解説

易学
えきがく

中国の儒教経典の一つ『易経(えききょう)』の解釈学。その古くは『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』『国語』の占筮(せんぜい)記事中にみられ、「八卦(はっか)」の象徴と数とを取り入れて解する。これを「象数易(しょうすうえき)」という。この系統に属するものが「彖(たん)伝」「象伝」「説卦(せっか)伝」である。「繋辞(けいじ)伝」は、「易」に哲学的根拠を与えようとするもので、むしろ、次の王弼(おうひつ)(226―249)の解の先蹤(せんしょう)をなす。漢代の易学者、ことに鄭玄(じょうげん)(127―200)、荀爽(じゅんそう)(128―190)、虞翻(ぐほん)(164―233)らは、さらに種々の「術」(往来(おうらい)、升降(しょうこう)、旁通(ぼうつう)など)を取り入れて解する。孟喜(もうき)(前1世紀)、京房(けいぼう)(前78―前37)らは、天文学を取り入れた「卦気、分卦直日(ぶんかちょくじつ)」を説くとともに、「天人相関」の立場から「災異(さいい)」を説く。この「象数易」は、経文の語をすべて「卦」の形から説こうとするもので、その説明が煩瑣(はんさ)なものとなったために、王弼は、「象、数、術」のほとんどすべてを捨て、経文の意味するところを読み取り、それを説いた。これを「義理易」という。「象数易」のまとまったものは『周易集解(しゅうえきしっかい)』で、各家の遺説がみられ、清(しん)朝の考証学者は精力的に「象数易」の遺説を収集し、解説した。「義理易」では、王弼の『周易注』があり、『周易正義』がそれを詳説する。朱熹(しゅき)(朱子、1130―1200)に『周易本義』があり、占筮を重視するとともに、「義理易」の伝統にも従いながら、「人事」を重視して解説する。また、文献批判にも鋭い説をみる。

[藤原高男]

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