明治神宮体育大会(読み)めいじじんぐうたいいくたいかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「明治神宮体育大会」の意味・わかりやすい解説

明治神宮体育大会
めいじじんぐうたいいくたいかい

第二次世界大戦前の全国規模によるもっとも大きな総合体育大会。1924年(大正13)、明治神宮外苑(がいえん)競技場が10月25日に竣工(しゅんこう)したのを記念して、内務省主催で第1回大会を10月30日から当時の明治節(現在は文化の日)にあたる11月3日まで開催したのが始まりである。

 この大会は神宮への奉納競技という意図のもとに、初め政府主催であったが、内務、文部両省間の主管のもつれもあって第3回の大会から大日本体育会(日本スポーツ協会の前身)の主催となった。大会は各回ごとに競技種目を定める方式で、ときには全日本選手権大会を兼ねることもあった。1939年(昭和14)の第10回大会から時局も緊迫し、第二次世界大戦突入後の第13回大会から厚生省主催となって明治神宮国民錬成大会と名も改められた。1943年の第14回では夏季大会だけ神宮で開かれたが、秋季は地方別分散となり、事実上この大会は消滅した。当時としては国内最高の競技大会であった。

[深川長郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android