明倫館(読み)めいりんかん

精選版 日本国語大辞典 「明倫館」の意味・読み・例文・類語

めいりん‐かん ‥クヮン【明倫館】

[一] 長門国(山口県)萩藩の藩校。享保四年(一七一九)、毛利吉元が設置。はじめ漢学だけであったが、のち音楽・医学・天文地理・歴史・武術などの諸学科を置き、洋学所も設置。はじめ萩にあり、のち山口にも開設。
[二] 伊予国(愛媛県)宇和島藩の藩校。寛延元年(一七四八創立の内徳館を文政七年(一八二四)に改称
[三] 越前国(福井県)大野藩の藩校。天保一四年(一八四三)、藩主土井利忠が洋学奨励して設置。
[四] 讚岐丸亀藩丹後田辺藩・大和柳本藩・大和田原本藩・信濃高取藩などにあった藩校の名。

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デジタル大辞泉 「明倫館」の意味・読み・例文・類語

めいりん‐かん〔‐クワン〕【明倫館】

江戸時代の藩校。諸藩に同名のものがあるが、長州藩のものが有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明倫館」の意味・わかりやすい解説

明倫館
めいりんかん

長州萩(はぎ)藩の藩学。1719年(享保4)藩主毛利吉元(もうりよしもと)が士風振興のため設立。天保(てんぽう)年間(1830~44)藩主敬親(たかちか)の下、村田清風らが登用され、学校を整備し、1849年(嘉永2)移転、新築。宣聖殿、学寮、演武場さらに水練場など、規模壮大。藩は500石を付して経営、藩士の入学を奨励した。小学(7~14歳)、大学(15~25歳)に分かれ、漢学、医学(漢・蘭(らん))、天文学、算学、兵学、武芸などの科があった。出版活動も活発であった。廃藩後、萩中学となる。幕末、藩庁の山口移転に伴い1860年(万延1)山口に鴻城(こうじょう)明倫館設置。各支藩にも藩校があった。なお、ほかに越前(えちぜん)大野、伊勢亀山(いせかめやま)、大和(やまと)柳本、大和高取、丹後(たんご)田辺、讃岐丸亀(さぬきまるがめ)、伊予宇和島(うわじま)各藩に、同名の藩学があった。

[木槻哲夫]

『文部省編・刊『日本教育史資料 2・5・6』(1889)』


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百科事典マイペディア 「明倫館」の意味・わかりやすい解説

明倫館【めいりんかん】

長門(ながと)萩藩の藩校。1719年設立。朱子学徂徠学の両派が関与。1849年の改革により小学舎,医学所,洋学所等を付設,学科を拡充。1863年藩庁の山口移転に伴い同地には山口明倫館を設立。同名の藩校は宇和島,越前大野,丸亀等の各藩にもあった。
→関連項目萩[市]村田清風

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改訂新版 世界大百科事典 「明倫館」の意味・わかりやすい解説

明倫館 (めいりんかん)

長州藩の藩校。1719年(享保4)萩に創立され,徂徠学のち朱子学により家臣の人材を養成した。幕末には小学・大学の2級編成で講釈,会業,詩会,文会,音楽会,武芸の教課があった。1863年(文久3)藩庁の山口移転により同地にも設置され,両明倫館が教育を統轄した。なお同名の藩校が宇和島藩(1748創立),大野藩(1843創立),丸亀藩(寛政ごろ創立)などにある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明倫館」の意味・わかりやすい解説

明倫館
めいりんかん

(1) 長州藩の藩校。享保4 (1719) 年藩主毛利吉元が創立。学頭小倉尚斎。徂徠学,のち朱子学を中心とした教育を行なった。嘉永2 (1849) 年学制改革で経学のほか兵学,制度,歴史,博学,文学などの6科をおいた。文久3 (63) 年山口にも併置され廃藩に及ぶ。 (2) 伊予宇和島藩の藩校。文政7 (24) 年改称。 (3) 越前大野藩の藩校。天保 14 (43) 年発令,翌年開校。洋学を奨励。 (4) 讃岐丸亀藩の藩校。寛政年間 (1789~1801) 拡張された。 (5) 丹後田辺藩の藩校。天明年間 (1781~89) に開設され,文久1 (1861) 年改称された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「明倫館」の解説

明倫館
めいりんかん

長門国萩藩の藩校。1719年(享保4)堀内村追廻に創設。小倉尚斎・山県(やまがた)周南が初代・2代と学頭を勤め,徂徠(そらい)学を講じた。1849年(嘉永2)江向(えむかい)村に移転し,聖廟・講堂・演武場など文武の施設を整備。科目は経学・歴史・制度・兵学・博学・文学。山県太華が学頭となり朱子学を主張。医学教育は別に済生堂(のち好生館)で行った。63年(文久3)山口講習堂も山口明倫館と改称し,両者併存したが,71年(明治4)に変則中学となり,のち山口・萩両中学校となった。国史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版 「明倫館」の解説

明倫館
めいりんかん

江戸時代,長州藩の藩校
1719年,藩主毛利吉元が萩に創設(幕末山口にもできる)。昌平坂学問所にならって儒学教育を主としたが,幕末の藩主敬親 (たかちか) が改革し,西洋医学・西洋兵学を研究する洋学研究所を付設。同藩の活動の原動力になった。

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防府市歴史用語集 「明倫館」の解説

明倫館

 1719年に萩藩5代藩主・毛利吉元[もうりよしもと]が建てた家臣の子供を教育する学校です。萩城の中にありましたが、1849年に場所をかえ、大規模な学校になりました。

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世界大百科事典(旧版)内の明倫館の言及

【萩[市]】より

…指月山(天)は海に面して花コウ岩の断崖がそばだち,林相も美しく,萩城跡(史)付近は指月公園になっている。新堀川の南,江向(えむかい)には藩校明倫館の水練池および有備館(史)があり,萩市街各所に城下時代の旧跡がある。【小川 国治】。…

【山県太華】より

…山県周南の家を継ぐ。明倫館に学び,ついで亀井南冥に師事。のち江戸へ行き,家学を捨て朱子学に転じた。…

※「明倫館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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