早稲田小劇場(読み)わせだしょうげきじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「早稲田小劇場」の意味・わかりやすい解説

早稲田小劇場
わせだしょうげきじょう

劇団名,劇場名。 1966年3月鈴木忠志,別役実らを中心に結成。同年5月新宿文化劇場において別役作『門』で旗揚げした。同年 10月,早稲田大学付近の喫茶店2階に稽古場兼劇場を開設,鈴木演出による別役作『マッチ売りの少女』 (1966) ,唐十郎作『少女仮面』 (1969) などを上演し,注目される。以後,鈴木構成・演出の『劇的なるものをめぐって II』 (1970) などにおける白石加代子演技と,鈴木の批評的なコラージュ手法演劇界に衝撃を与え,状況劇場や天井桟敷と並ぶ前衛演劇の中心的存在となった。 1976年富山県の利賀拠点を移し,1982年より毎夏同地で国際演劇祭 (→利賀フェスティバル ) を開催。 1984年9月 SCOT (Suzuki Company of Toga) と改称。多くの海外公演も行ない,日本を代表する前衛劇団として世界的にも知られる。

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デジタル大辞泉プラス 「早稲田小劇場」の解説

早稲田小劇場

日本の劇団。鈴木忠志、別役実らを中心に、早稲田大学の学生劇団「自由舞台」の出身者を主なメンバーとして、1966年に結成。早稲田大学付近の喫茶店モンシェリの2階に開設したアトリエを拠点に、鈴木の演出による作品を発表。代表作は「マッチ売りの少女」「劇的なるものをめぐって」「少女仮面」など。1976年、富山県東砺波郡利賀村(現・南砺(なんと)市利賀村)に拠点を移し、1984年以降「劇団SCOT」に改称。参加者に、小野碩、白石加代子、高橋美智子ら(退団者含む)。

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世界大百科事典(旧版)内の早稲田小劇場の言及

【劇団】より

…その一方,唐(から)十郎(1940‐ )らの〈状況劇場〉が63年に結成され,67年に紅(あか)テント劇場の活動を開始した。1966年には,東京早稲田の喫茶店2階の小空間をけいこ場兼用の小劇場とする鈴木忠志(ただし)(1939‐ )らの〈早稲田小劇場〉が結成され,佐藤信,串田和美らの〈自由劇場〉(正式名称は〈アンダーグラウンド自由劇場〉)も同年活動を始めた。翌67年には,寺山修司(1935‐83)らが〈天井桟敷(てんじようさじき)〉(正式名称は〈演劇実験室天井桟敷〉)を創設,さらに68年に蜷川幸雄らの〈現代人劇場〉が結成された。…

【前衛劇】より

… まず,唐十郎(1940‐ )の〈状況劇場〉は63年に結成されていたが,その活動が決定的に注目されたのは,67年夏の東京新宿の花園神社境内における紅(あか)テント公演《腰巻お仙義理人情いろはにほへと篇》であった。唐の芝居は,当初ジャーナリズムにおける社会的な〈事件〉としての扱いの方が先行する気味があったが,以降,《少女仮面》(1969,早稲田小劇場初演),《吸血姫》(1971),そしてのちの《下谷万年町(したやまんねんちよう)物語》(1981)にいたるまで,数多くの好戯曲を執筆し,また〈状況劇場〉の演出家兼中心俳優として活発な活動を行ってきた。唐の芝居の特徴をひと言でいえば,自分が育った敗戦直後の東京下町や,少年期に親しんだであろう大衆的な読物などの記憶を下敷きにして,その上に形成された〈暗い情念の夢の劇〉とでもいうべきものであろう。…

※「早稲田小劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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