早乙女(読み)ソウトメ

デジタル大辞泉 「早乙女」の意味・読み・例文・類語

そうとめ〔さうとめ〕【早乙女】

さおとめ」の音変化。

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精選版 日本国語大辞典 「早乙女」の意味・読み・例文・類語

そうとめ さうとめ【早乙女】

〘名〙 (「さおとめ」の変化した語) 陰暦五月頃、田植えに従事する少女。《季・夏》
日葡辞書(1603‐04)「Sǒtome(サウトメ)〈訳〉田に稲を植える女」
※幸若・伏見常葉(寛永版)(室町末‐近世初)「時ならぬ田うたをはったと上てうたふたり。田うへよや田うへよさうとめ」

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改訂新版 世界大百科事典 「早乙女」の意味・わかりやすい解説

早乙女 (さおとめ)

田植に,苗を本田に植える仕事をする女性をいう。ウエメ植女),ソウトメ,ショトメなどともいう。本来は,田植に際して田の神を祭る特定の女性を指したものと考えられる。かつては田主(たあるじ)の家族の若い女性を家早乙女,内早乙女などと呼びこれにあてたらしい。相互扶助を目的としたゆい組の女性だけを早乙女と呼ぶ例もある。いずれも敬称として用いられている。田植に女性の労働が重んじられたこともあり,しだいに田植に参加する女性すべてを早乙女と呼ぶようになったと思われる。早乙女の服装は晴着の一つで,土地によっても異なるが普段着とは別に紺の単衣(ひとえ)に赤だすき,白手拭に新しい菅笠を着けるなどの例が一般的である。早乙女の服装は田の神を祭る一種の祭装束でもある。ゆいや田植組の機能が衰えるなど作業組織が変化してくると新たに日雇いや村外からの出稼ぎ労働に頼ることが余儀なくされる。田植の賃金は他の仕事と異なり男女とも同額とされ,自分の村の田植の前後に出稼ぎをする風習が生まれた。山梨県南都留郡には村の娘は早乙女にならず,毎年静岡県から入ってくるのを待ち,そのための早乙女宿もあった。瀬戸内海島々からは,中国四国各地に出かけ,新潟県からは長野,山形県下へも雇われて出かけた。また山形県庄内地方から秋田県由利地方へ出かけるものは〈しょとめしょとめ〉と触れて歩いたという。
田植
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「早乙女」の意味・わかりやすい解説

早乙女
さおとめ

若い女、とくに田植働きの女をいう。植女(うえめ)と並ぶ古い用語で、ソウトメ、サツキ女、ハナムスメ、シヨトメなどともよぶ。田植(苗の移植)は稲作の要(かなめ)で、多数の働きで一挙に仕上げる必要があり、古くから女手が主力にもなっていた。また田植には田の神を迎えての予祝の祭りが古くは随伴したようで、花田植・大田植の行事や神田の田植神事にいまもその名残(なごり)をとどめる。早乙女はそこでも主役をつとめ、また田遊や田植踊の芸能でも同じ役割を演ずる。早乙女の「サ」はサオリ(田植初(はじ)め)、サナブリ(田植終(じま)い)、サナエ、サツキの「サ」と同じく「田の神」にかかわる語で、それに奉仕する「聖なる乙女」が早乙女の原義ともみられる。田植の際「田主(たあるじ)」の若い妻女をウチサオトメと称してヒルマモチ(田植の食事運び)の役をつとめたという伝承はとくに注目され、こうした奉仕役のヒルマモチ、オナリ(養い女)が早乙女の古い形で、やがて田植働きの女の呼び名にそれが広がったのであろう。少なくとも早乙女の「サ」は単なる接頭語ではない。田植女は紺絣(こんがすり)の着物、赤襷(あかだすき)、白手拭(しろてぬぐい)に菅笠(すげがさ)という晴れ姿で、田植唄(うた)もにぎやかに集団作業にあたり、ユイ、テツダイで仲間をつくり、家々の田植を順次済ませる形が以前は通例であった。一方、集団的な田植女の出稼ぎも古くからあって、旅早乙女(たびそうとめ)などとよばれ、田植時期の異なる地方の間に多く行われた。そしてその周旋にあたるソウトメ宿、ソウトメ廻(まわ)しなどの仲介業者も各地に生じていた。

[竹内利美]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「早乙女」の意味・わかりやすい解説

早乙女
さおとめ

稲の苗を水田に植えつける女性をいう。古くは中世の和歌にみえているが,植女 (うえめ) とも呼んだ。日本の古くからの稲作は,稲の生育を保証する田の神信仰と密接な関係があった。特に田植えには特定の水田に祭場を設けて田の神を迎え,その前で作業を行うことから,一種の神聖な祭儀であったといえる。田植えに女性が重要な役割をもつことが多いのは,稲の豊作が女性の霊的な力によってもたらされるという観念があったためである。各地の神社などの田植神事,田遊び神事などからも,女性の生殖力が稲に霊的な影響を与えるという観念要素を引出すことができる (→田植踊 ) 。現在では田植えに働く女性一般を早乙女と呼ぶが,古くは特定の女性に限定されていたことが推測される。美しいいでたちの早乙女は田植えの日の象徴であるが,その背景には祭儀の奉仕者という宗教的役割があった。田植えの期間における早乙女が優遇され解放される習俗は多く,労働賃金のうえでも男性と同額という地方があり,早乙女が集団で他地方へ田植えの出稼ぎに行く地方もある。

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百科事典マイペディア 「早乙女」の意味・わかりやすい解説

早乙女【さおとめ】

田植に従事する女性。古くは植女(うえめ)ともいい,田植女の総称ではなく,田の神に奉仕する特定の女性をさした。田の神を早男(そうとく)と呼ぶのがそれを暗示する。田植は,豊作を祈る祭の日でもあるので,早乙女の服装は地方によって異なるが,普通,紺の単(ひとえ)に赤だすき,白手ぬぐいをかぶって新しい菅笠(すげがさ)をつける。
→関連項目さなぶり泥打祝

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動植物名よみかた辞典 普及版 「早乙女」の解説

早乙女 (サオトメ)

学名:Glottiphyllum neilii
植物。ツルナ科の園芸植物

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世界大百科事典(旧版)内の早乙女の言及

【さなぶり】より

…シロは植田,ミテは完了の意味で,神事としての意識が薄れてからの呼称と思われる。田の水口や屋内の荒神(こうじん),竈神に残り苗を供えて祭り,とくに,早乙女(さおとめ)を上席にして宴を催す風習もある。この日は休み日で,かつては忌籠(いみごもり)の日であった。…

【田植歌】より

…まず田の神を迎える朝のサンバイおろしの朝歌から始まり,昼の田の神への供食に歌う昼歌,夕方田植を終わって神送りをする晩歌まで,時刻により朝歌,昼歌,晩歌と決まった歌が歌われる。たとえば朝歌は,(音頭)〈エーうたいはじめはまずサンバイに参らしょう〉,(早乙女)〈ヤハーレヤレまずサンバイに参らしょう〉(中略),(音頭)〈イヤサンバイは,ヤーレ今こそおりゃる宮の方から〉,(早乙女)〈宮の方からヤーレ葦毛の駒に手綱よりかけ〉というように,音頭をとるサンバイと,田植をする早乙女の唱和の形をとって歌われる。昼歌は〈京へ上るが連れはないかいの,われが元のさいたのも連れて上れかし〉,晩歌は〈今日の早乙女は名残惜しい早乙女,洗い川の葦(よし)の根で文(ふみ)を参らしょう,名残惜しやというては袖をひかれた〉というものである。…

【端午】より

…男児の節供のごとくいわれるこの日の夜を,女の天下,女の家,女の夜,女の屋根などといって女性がいばる日とすることが,かつては全国に分布していた。これらの伝承は,後に控えた田植のときに早乙女としての重い役割を担う女性が,特定の家に忌みこもって精進の生活をし,田の神を迎えようとしたなごりではないかとされている。 武家時代の印地打は,近代になっても各地で行われていた。…

【民俗芸能】より

…東北に分布する田植踊は歌と群舞で表現するもので,前者は中世ごろから寺院の初春行事であるオコナイと習合しながら普及し,後者は農家の小正月行事として近世に広く行われた。田植どきの芸能で著名なのは中国山地付近に残る囃子田(はやしだ)で,おおぜいの早乙女が田の神役のサンバイと,恋歌を掛け合いながら苗を植える。畦には太鼓,笛,ささら(簓)などの囃子方がいて伴奏役を勤めるが,この風俗は古く平安中期の《栄華物語》などにも見えて,当時すでに鑑賞芸能として貴族たちにもてはやされていたようである。…

※「早乙女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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