日野(読み)ひの

精選版 日本国語大辞典 「日野」の意味・読み・例文・類語

ひの【日野】

[一] 東京都中西部の地名。旧南多摩郡日野町。古くは飛火野(とぶひの)と呼ばれていた。多摩川南岸の沖積低地多摩丘陵からなる。江戸時代、多摩川の渡船場にあたる甲州街道の宿駅として発展。自動車・電気などの大工場が多く、高幡不動・都立多摩動物公園がある。昭和三八年(一九六三)市制。
[二] 鳥取県南西端の郡。日野川上・中流域の山間地。

ひの【日野】

〘名〙 「ひのぎぬ(日野絹)」の略。
浮世草子好色一代男(1682)七「日(ヒノ)の洗濯着物」

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デジタル大辞泉 「日野」の意味・読み・例文・類語

ひの【日野】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「日野」姓の人物
日野啓三ひのけいぞう
日野資朝ひのすけとも
日野草城ひのそうじょう
日野俊基ひのとしもと
日野富子ひのとみこ

ひの【日野】[東京都の市]

東京都中部の市。多摩川の南岸にあり、もと甲州街道宿場町自動車工業が盛ん。住宅地としても発展。多摩動物公園高幡不動尊たかはたふどうそんがある。人口17.9万(2010)。

ひの【日野】[滋賀県の地名]

滋賀県南東部、蒲生がもう郡の地名。もと蒲生氏の城下町。日野屋と称する近江おうみ商人本拠地。製薬や林業が盛ん。

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改訂新版 世界大百科事典 「日野」の意味・わかりやすい解説

日野[市] (ひの)

東京都中西部の市。1963年市制。人口18万0052(2010)。立川市と八王子市の中間に位置し,多摩川と浅川の合流点付近の低地,両河川に挟まれた日野台,および浅川南岸の多摩丘陵からなる。江戸時代に甲州道中の宿駅として発達したところで,昭和初期までは低地で米,梨,台地と丘陵部では養蚕や麦の栽培が行われる農村地帯であったが,昭和10年代より台地上に精密機械,自動車,フィルム,電気などの工場が次々に立地し,工業化が進んだ。昭和30年代に首都圏整備計画による工業衛星都市として大規模な工場や住宅団地の造成が行われ,都心への通勤条件にも恵まれて人口は急増した。南部の多摩丘陵は都立自然公園に指定され,多摩動物公園百草園高幡不動などを中心に都民の行楽地として親しまれている。市域北部をJR中央本線,南部を京王電鉄京王線が通り,南北に多摩都市モノレールが走る。
執筆者:

日野宿は内藤新宿から7里26丁(30km余),東の府中宿へ2里,西の横山宿(現,八王子市)へ1里27丁48間で,府中宿,横山宿のほか脇往還岩槻道の小川新田(2里)への継立ても負担していた。町並みは幕末には9丁続いていた。1717年(享保2)の百姓家数は426軒,人数1735人で,馬数は183疋であった。宿の問屋は2人,馬指(うまさし)・定使(じようづかい)は2人である。職人が8人,商人が15人いたが,商人は酒,豆腐,わらじ,タバコなどを商い,甲州道中を通る旅行者相手の商業とみられるものが多い。多摩川の対岸柴崎村との間には甲州道中では数少ない渡船があった。日野宿で経営し,日野の渡と呼ばれたものである。この渡船は1824年(文政7)以前は毎年3月から10月までで,そのあと翌年3月までは土橋を架けて渡っていた。しかしこの年以後,渡船賃を3割増にするとともに,通年渡船で渡ることになった。27年に多摩川両岸にわたる47ヵ村で日野宿組合が結成されると,その中心である寄場になったが,これらの村のほとんどは経済的には八王子の市場圏に入り,日野は市が立つこともなく,宿場町で推移した。
執筆者:

日野[町] (ひの)

滋賀県南東部,蒲生(がもう)郡の町。人口2万2870(2010)。鈴鹿山脈西麓にあたり,丘陵地を縫って日野川と支流佐久良川が西流する。古代は日野牧(ひののまき)の地であった。中世,藤原秀郷流と称する蒲生氏が土着し,室町時代の貞秀以来武威を振るったが,その孫蒲生定秀が日野城を築き天文初年(1530年代)町割りを定めて以来,城下町として大いに繁栄した。定秀の孫蒲生氏郷は楽市・楽座令をしき商業がとくに栄えたが,天正年間(1573-92)伊勢松坂へ転封されて日野の町勢が衰えると,町民はしだいに東国方面に行商するようになり,江戸時代,八幡商人(近江八幡),五箇荘商人(神崎郡五箇荘)とともに日野商人として近江商人の中心的な存在となった。持下り商人は,伝統の漆器をはじめとして呉服,太物,麻布などを扱い,会津にまで漆器の製法を伝えたが,元禄年間(1688-1704)に正野玄三が売薬を始めるに及んで,日野売薬が漆器などに代わって行商の中心商品となり,名声を博した。また日野商人は江戸,大坂,京都の三都をはじめ行商の先々に出店を設けて,酒,しょうゆの醸造・販売をはじめ多種多様の商品を扱い,やがて全国的な規模をもつ大商人を輩出した。中井源左衛門などはその著例である。
執筆者: 日野売薬の伝統を継ぐ製薬業は現在も盛んで,国道307号線沿いには日野工業団地もできている。川沿いは低地を中心に米作も行われるが,酪農も活発で,生乳生産量は県下一である。西大路に蒲生氏の城跡があり,正明寺,寂照寺,比都佐神社など大社寺も多い。近江鉄道線が通る。
執筆者:

日野[町] (ひの)

鳥取県南西部,日野郡の町。人口3745(2010)。日野川の中流域に位置し,中国山地を境に岡山県に接する。町域は標高1000m前後の山岳に囲まれ,河川沿いの低地に集落が点在する。根雨(ねう),黒坂,板井原は江戸時代出雲街道の宿場町として栄えた。中心の根雨は国道180号,181号,183号線の分岐点に当たり,JR伯備線が通じるなど山陰,山陽を連絡する交通上の要地で,明治以降は郡行政の中心でもある。黒坂は1610-17年(慶長15-元和3)には関氏5万石の城下町で,以後は鳥取藩の黒坂陣屋が置かれた。オシドリの生息する鵜ノ池,ツツジで知られる滝山公園,寝覚峡などの景勝地があり,奥日野県立自然公園に含まれる。長楽寺には重要文化財に指定された5体の仏像がある。
執筆者:

日野 (ひの)

京都市伏見区の地名。山科盆地の南東にあたり,795年(延暦14)にはすでに遊猟が行われたという記事がある。日野に南接する木幡(こはた)には藤原氏一門の寺である浄妙寺がかつて存在し,日野も藤原氏の伝領するところであった。この一門は日野氏を称し,ここに法界寺を建立している。京都からは地理的に少し遠いためさほど著名な近郊とはならなかったようであるが,鴨長明が近くの山中に方丈を営んで隠棲し,《方丈記》を執筆したことはよく知られている。
日野家
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日野」の意味・わかりやすい解説

日野
ひの

京都市伏見(ふしみ)区の東部、山科(やましな)盆地南部の地域。1051年(永承6)に日野資業(すけなり)が建立した法界寺(ほうかいじ)があり、日野薬師とよばれる。背後の山地に長明方丈石と書かれた石碑があり、鴨長明(かものちょうめい)が晩年隠棲(いんせい)して『方丈記(ほうじょうき)』を執筆した地といわれる。京都薬科大学薬用植物園がある。

[織田武雄]

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百科事典マイペディア 「日野」の意味・わかりやすい解説

日野【ひの】

京都市伏見区の地名。笠取(かさとり)山地を背景にした丘陵地に立地。古代には天皇・公家の遊猟地であり,また平安期には公家日野家の伝領地があって,名字地ともなっている。永承年中(1046年―1053年)日野資業が薬師堂を建立,これがのち法界(ほうかい)寺となる。日野家12代目の有範は浄土真宗の開祖親鸞の父とされ,親鸞の誕生地でもある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日野」の意味・わかりやすい解説

日野
ひの

京都市伏見区の一地区。市の南東端,滋賀県境に近い醍醐山地西麓に位置。日野薬師として知られる法界寺は,永承6 (1051) 年創建の古寺で,国宝の阿弥陀堂,阿弥陀如来坐像がある。

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