日華基本条約(読み)にっかきほんじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日華基本条約」の意味・わかりやすい解説

日華基本条約
にっかきほんじょうやく

日中戦争中、日本が汪兆銘(おうちょうめい)政権と結んだ条約。戦争の長期化に苦慮した日本は、国民党内親日派の汪兆銘に働きかけ、抗日戦から離脱させて、1940年(昭和15)南京(ナンキン)に汪を首班とする傀儡(かいらい)政権をつくった。これを承認するため同年11月、日満華共同宣言とともに日華基本条約を調印、重慶(じゅうけい)の国民政府を否認した。共同防共、日本軍による治安維持、日本艦船の駐留、華北・内蒙古(うちもうこ)の資源開発などを定め、多くの秘密付属文書とともに日本の中国支配の意図を露骨に表していた。英米はこれに反対し、また中国民衆や国民政府の抗戦決意は一段と高まった。

[岡部牧夫]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日華基本条約」の解説

日華基本条約
にっかきほんじょうやく

1940年(昭和15)11月30日,日本と汪兆銘(おうちょうめい)政権との間で調印された「日本国中華民国間基本関係に関する条約」の略称。同条約によって日本は,汪政権に重慶政府と対立する中国中央政府の外観を与えるとともに,実質的には軍事占領の全面的達成をめざした。一方汪政権側は,日本に対する独立性の確保と国内の支持獲得を求めた。したがって交渉過程では,全9カ条のうち3カ条の駐兵条項をめぐって難航したが,汪側の要望の治外法権撤廃を第7条に盛りこむことで妥結した。結局,日本側の当初の予定どおりの条約となり,中央政府としての汪政権の実質は失われた。同時に日本は,重慶政府との関係を困難なものとし,日中戦争の平和解決の可能性は遠のいた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日華基本条約」の意味・わかりやすい解説

日華基本条約
にっかきほんじょうやく

1938年1月 16日近衛内閣が発した「国民政府を相手とせず」の声明ののち,日中戦争収拾を意図して日本が占領下の南京に擁立した,いわゆる「中華民国国民政府」汪兆銘 (精衛) 政権 (1940.3.30.成立) との間に 40年8月 31日に締結,11月 30日調印した条約。全文9ヵ条。主権,領土の尊重,共産主義的破壊工作に対する共同防衛などを規定する一方,中華民国における日本軍駐屯,日本艦船部隊の駐留,華北,蒙疆地域の埋蔵資源共同開発および日本に対する積極的便宜供与など,多くの面で日本側の広範な権益を規定している。 43年 10月 30日「日華同盟条約」の締結により失効。

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百科事典マイペディア 「日華基本条約」の意味・わかりやすい解説

日華基本条約【にっかきほんじょうやく】

1940年11月日本と汪兆銘政権との間に南京で調印された条約。反共の共同行動,日本軍の駐留権などを定め,汪兆銘政権を合法政権として確立すると同時に,日本軍の中国支配を恒久化することを目的とした。中国人民の憤激を買い,日米関係も悪化。
→関連項目近衛文麿内閣

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旺文社日本史事典 三訂版 「日華基本条約」の解説

日華基本条約
にっかきほんじょうやく

日中戦争中の1940年,日本と汪兆銘 (おうちようめい) (南京政府・新国民政府)政権との間に結ばれた条約
日中両国の反共共同防衛をたてまえとし,日本軍の華北駐兵権・艦船駐海権などを規定し,条約成立とともに日本は汪政権を中国の正統政権として承認した。イギリス・アメリカはこれに反対し,中国民衆も反感を強めた。

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