出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
茨城県北東部の市。2004年11月旧日立市が北に接する十王(じゆうおう)町を編入して成立した。人口19万3129(2010)。
日立市北部の旧町。旧多賀郡所属。人口1万3236(2000)。太平洋に面し,阿武隈高地南端東斜面と海岸沿いの低地を占める。東部の櫛形地区はかつて常磐炭田南端の炭坑町で,櫛形炭田があったが,1973年閉山となった。その後工業団地が造成され,日立製作所系列の工場が進出している。古くは馬産地で,西部の山間には徳川光圀開設と伝える高原牧場があるが,現在は和牛を飼育する。南接する旧日立市への通勤者が多く,ベッドタウン化も進んでいる。宇宙通信用の国際電信電話会社茨城衛星通信所(現,KDDI茨城衛星通信センター)があり,南部の川尻海岸は鵜飼いに使われるウミウの捕獲地,北部の海岸にある伊吹山はイブキの群生地(天)として知られる。海岸沿いにJR常磐線が走る。
執筆者:千葉 立也
日立市中南部の旧市。1939年日立町と助川町が合体,市制。人口19万3353(2000)。西部には阿武隈高地南端の多賀山地が連なり,南は東海村との境を久慈川が東流する。日立の地名は,水戸藩主徳川光圀が神峰(かみね)神社参拝のとき太平洋から日が昇るのを望み,領内一の景とたたえた故事によるという。古代には助川郷,助川駅が置かれ,近世にも浜街道の宿場町であった。1897年には日本鉄道助川駅(現,常磐線日立駅)が開設された。1905年久原房之助の経営に移った赤沢鉱山が日立鉱山と改称されてから日本有数の銅山となり,10年には現在の日立製作所が創業されて第1次大戦や関東大震災を機に発展した。第2次大戦末期には艦砲射撃により大きな被害を受けたが,戦後,日立製作所と関連の工場が進出して北関東最大の鉱工業都市に成長,市街地も海岸段丘面から山麓にまで拡大した。日立鉱山の閉山以後は鉱山集落の機能は失われたが,1985年には常磐自動車道が日立北インターチェンジまで開通し,日立製作所を中核とする関連工業の多角化も著しく,単一企業都市としてますます発展している。95年の製造品出荷額は1兆4942億円をあげ,県全体の14%を占めている。久慈漁港の改修に伴って建設された日立港は大型電気機械の搬出,木材や石油の輸入によって活況を呈している。JR常磐線,国道6号線が並行して南北に通じる。
執筆者:中川 浩一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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