日立製作所(株)(読み)ひたちせいさくしょ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日立製作所(株)」の意味・わかりやすい解説

日立製作所(株)
ひたちせいさくしょ

総合電機のトップ・メーカー。1910年(明治43)久原(くはら)鉱業所日立鉱山工作課長小平浪平(おだいらなみへい)が茨城県日立町(現日立市)に鉱山用電気機械修理工場を設置したのに始まる。変圧器、電動機、発電機の製作を手がけ、しだいに外部にも供給するようになり、1920年(大正9)株式会社日立製作所として独立。ほかの財閥系電機会社が外国企業と資本、技術を提携したのに対し、日立は国産自主技術の方針で臨んだ点に特色があり、大正末以降、他社をはるかに上回る急速な企業成長を実現していった。さらに日中戦争期以降は軍需関連生産に転換しながら、重電機器、弱電機器、通信機器、一般機械、車両などにまたがる総合電機会社に発展し、関係会社も30社近くに上った。

 第二次世界大戦後は旧経営陣の公職追放に加えて、1950年(昭和25)に5000人以上に及ぶ人員整理をめぐる3か月のストライキに直面したが、同年に勃発(ぼっぱつ)した朝鮮戦争特需蘇生(そせい)。続く1951年以降の電源開発ブームによる発電機受注急増は、日立の戦後発展の基礎となった。1955年以降は「神武(じんむ)景気」にのって家庭電化ブームが出現したが、これに対して扇風機、洗濯機、冷蔵庫の工場を新設、拡充するとともに、テレビ、トランジスタラジオの生産を開始し、家庭電器部門を急速に拡大した。また1962年にコンピュータ事業部を設置、1964年に国産初の大型コンピュータHITAC(ハイタック)5020を完成させるなど電算機部門でも積極的経営戦略を推進した。1970年代以降は、エレクトロニクスを軸とした事業に力を注ぎ、半導体増産やコンピュータのソフトウェア業務の拡大が目だつが、近年は、情報・通信システムが成長の原動力となっている。とくに研究・技術開発に定評があるとともに広範囲の関係会社を擁し、グループとしての総合力を発揮してきた。2003年(平成15)三菱電機合弁で半導体会社ルネサステクノロジを設立。資本金2820億円(2008)、売上高2兆8073億円(2008)。

[中村青志]

『株式会社日立製作所編・刊『日立製作所史1~4』(1960~85)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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