日本鉄道争議(読み)にほんてつどうそうぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本鉄道争議」の意味・わかりやすい解説

日本鉄道争議
にほんてつどうそうぎ

1898年(明治31)2月から3月にかけて日本鉄道会社で起きた労働争議。同社の機関方・火夫は、熟練を要する職種であるにもかかわらずその社会的な地位は低く、賃金も、日清(にっしん)戦争後、他の企業や職業では上昇したのに、さほどあがることはなかった。そこで彼らは、賃金の増額と身分昇格、職名改称(機関方を機関士に、など)を要求し、争議に入った。まず、青森から秘密出版物が各駅の機関方らに配布され、会社側が首謀者を解雇すると、福島を中心として上野、宇都宮黒磯(くろいそ)、仙台、青森、尻内(しりうち)(現八戸(はちのへ))、一ノ関などに電報で連絡をとり、約400人が2月24日から一斉にストライキに突入した。会社側はあわてて機関方らとの交渉に応じ、要求をほぼすべて認め、3月29日には賃金増額、職名改称などが実現した。地位向上の要求がそこに強くみられることから、この争議は、明治期の労働運動の特徴をよく示すものとして知られている。その経験のうえに、機関方・火夫らは日本鉄道矯正会という労働組合を結成した。

[三宅明正]

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