日本瓦工場(読み)にほんれんがこうじよう

日本歴史地名大系 「日本瓦工場」の解説

日本瓦工場
にほんれんがこうじよう

[現在地名]深谷市上敷免

北側を小山こやま川、南側を備前渠びぜんきよ用水に挟まれた地に所在する。明治二〇年(一八八七)一〇月血洗島ちあらいじま村出身の財界の巨頭渋沢栄一らによって設立されたわが国最初の洋式煉瓦工場。明治期の文明開化の風潮の高まりとともに洋風官庁街建設が緊急の課題となり、同一九年内閣直属の機関として臨時建築局(総裁井上馨)が誕生。臨時建築局では御雇ドイツ人建築技師ベックマン建言により、洋式機械による煉瓦工場を官営で建設することを決定したが、財政難のため民営工場建設を奨励し、民営工場で製造した煉瓦を政府で買上げ、御雇外国人技師を派遣することとした。この呼掛けに応じて千葉県の政財界で活躍していた池田栄亮、三井物産の益田孝および渋沢栄一らが同二〇年に日本煉瓦製造株式会社を設立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android