日本橋(東京都)(読み)にほんばし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本橋(東京都)」の意味・わかりやすい解説

日本橋(東京都)
にほんばし

東京都中央区の北半部の地区。また1947年(昭和22)中央区成立前までの旧日本橋区の区域をいう。徳川家康の入府(1590)前は日比谷(ひびや)入り江と隅田(すみだ)川の間の低湿地であったが、入府後は江戸城大手門の東側にあたることから1592年(文禄1)以降、町屋として建設にあたった。江戸城と平(ひら)川河口を結ぶ道三(どうさん)堀を中心として、その北方常盤(ときわ)橋(浅草口)から奥州街道が通じ、平川の延長の日本橋川には日本橋が架けられ東海道起点となった。

 地名由来の日本橋は、徳川家康が征夷(せいい)大将軍に任じられた1603年(慶長8)に架橋されたといわれ、当時長さ約68メートル、幅約7メートルの木橋であった。現在の石橋は1911年(明治44)に建造されたルネサンス風の名橋で、中央に日本国道路元標がある。日本橋川は江戸随一の河岸でにぎわい、天正(てんしょう)年間(1573~1592)白魚(しらうお)市が開かれ、やがて魚市場として、築地(つきじ)に1935年(昭和10)移転するまで、江戸、東京の台所となった。金貨幣の鋳造所の金座は本町(現、日本橋本石町(にほんばしほんごくちょう))に1595年(文禄4)建立、現在の日本銀行へとかわった。ヨシの生えた湿地の吉原(現、日本橋人形町)には、1617年(元和3)江戸に散在していた遊里をまとめて大遊廓(ゆうかく)がつくられ、また芝居小屋もできるなど江戸町人の町として繁栄を遂げた。なお、吉原は明暦(めいれき)の大火(1657)後、浅草に移り、この地は元吉原とよばれた。

 現在も銀行・百貨店などの集中する日本橋本石町、日本橋室(むろ)町、日本橋、繊維・雑貨など卸売り機能の日本橋横山町、日本橋大伝馬町、日本橋堀留町、証券取引きの日本橋兜町(にほんばしかぶとちょう)など東京の中心商業地区であり、江戸の伝統を引き継いだ江戸情緒の町である。かつての水路の多くは埋め立てられ首都高速道路となっている。また地下鉄網が発達し、東京地下鉄銀座線・東西線・日比谷線・半蔵門線、都営地下鉄浅草線・新宿線の各線や総武本線が通る。

[沢田 清]

『田村栄太郎著『銀座・京橋・日本橋』(1965・雄山閣出版)』


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