日本堤(読み)にほんづつみ

精選版 日本国語大辞典 「日本堤」の意味・読み・例文・類語

にほん‐づつみ【日本堤】

江戸浅草聖天町(台東区浅草七丁目)から下谷箕輪(台東区三ノ輪)につづく山谷堀土手荒川治水工事の一つとして元和六年(一六二〇)につくられ、新吉原通いの道として利用された。吉原土手。土手八丁。土手。
※俳諧・貝おほひ(1672)一〇番「右は、二ほんづつみの無常の煙もたちのびたる句のすがたは」

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デジタル大辞泉 「日本堤」の意味・読み・例文・類語

にほん‐づつみ【日本堤】

東京都台東区の地名江戸時代隅田川から三ノ輪までの掘割山谷さんやの土手で、吉原遊郭への通路ともされた。

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日本歴史地名大系 「日本堤」の解説

日本堤
にほんづつみ

三ノ輪みのわ一丁目・竜泉りゆうせん三丁目・千束せんぞく四丁目・浅草五―六丁目と三ノ輪二丁目・日本堤一―二丁目・東浅草一―二丁目との間にあった堤。江戸時代は「御府内備考」によれば、浅草聖天あさくさしようでん町木戸際より北西下谷三之輪したやみのわ町までおよそ一三町続いていた。荒川(現隅田川)の水除けとして元和六年(一六二〇)築かれたとされる。名称の由来については、浅草聖天町から山谷さんや堀の方へも堤があり、二本堤から日本堤となったという説や(洞房語園異本考異)、幕命により在府の諸侯が家々の旌幟を立て約六〇余日で成就したために名付けられたという説などがある(洞房語園)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本堤」の意味・わかりやすい解説

日本堤
にほんづつみ

東京都台東(たいとう)区内の隅田(すみだ)川(大川)から北西に向かう堀割に沿って築かれた堤。浅草7丁目(旧聖天(しょうでん)町)から三ノ輪(みのわ)まで総延長13町(1.4キロメートル)余。堤のほぼ中間から新吉原へ通じる五十間道があり、遊客の通路として利用されたことで名高い。聖天町から山谷(さんや)橋へ向かう別の堤とあわせて二本堤だったとも、全国の諸大名が60余日で完成したので日本堤だともいうが、構築年とともに確証はない。この堤の聖天町際から五十間道までの385間2尺(6町余)を俗に土手八丁といった。なお、堤から下りて行く五十間道の坂の部分を衣紋(えもん)坂というのは、遊客が着物の衣紋を直したからといわれる。

[原島陽一]

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