日常認知(読み)にちじょうにんち(英語表記)everyday cognition

最新 心理学事典 「日常認知」の解説

にちじょうにんち
日常認知
everyday cognition

日常認知とは,文字どおり日常的な生活の中で生じている認知の形,過程をそのまま対象とした研究領域を指す概念である。従来,心理学研究では,人間の認知機能について「実験室で行なわれる実験課題における反応」を基に,多くの理論モデルが提唱されてきた。しかし,1980年代になって,ナイサーNeisser,U.の日常記憶研究,認知科学領域でのコールCole,M.やレイブLave,J.による認知の文化依存性・社会構成性といった概念の提唱,サッチマンSuchman,L.などの状況的認知研究といった動きの中で,日常の場で発揮されている人の認知機能は,実験室内で観察される課題達成とは異なっている可能性があること,したがって日常の生活・活動の中での認知機能を研究する必要があるという認識が広く共有されることとなった。

 その中で生まれた重要な概念が,ナイサーの提言する生態学的妥当性ecological validityである。これは人工的に作られる実験室研究で観察される現象が,どの程度「実際に人が日常の活動の場で行なっている行動と関連する意味をもつものか」という点を重視し,評価しようとする考え方である。たとえば一般に,無意味綴りnonsense syllableを用いた実験で「測定」される認知的処理能力は,実際に人が生活の中で見せる「意味のある認知対象に対する認知的な処理」との間に直接的な関連性は低く,生態学的妥当性が低いとされる。これは通常,日常認知の場において,人は「意味のあることを意味のある形で」覚えたり判断したりしており,その意味のあり方によって認知過程の働かせ方がまったく異なってしまうためである。つまり,認知的処理を変化させる要因である意味を,「単に統制するために」すべてなくしてしまうと本来行なっている認知過程は見えなくなるという危険性がある。

 これは単に有意味なもの,日常生活の中で実際に用いられるものを課題で使用しさえすれば生態学的妥当性が高くなるということではない。研究対象をいかに「日常的な認知活動を明らかにできる形で」切り取ってくるかが重要なのである。すなわち,本来研究すべき対象である日常的な認知過程と,実際の研究の場で「引き起こされている」認知の形がどのような関係性にあるのかを,理論・モデルの中に組み込んで扱っていく必要がある。生物学での細胞研究がin vivo(生体内)とin vitro(試験管内)の両者で行なわれているが,心理学においても,同様のアプローチが必要だといえる。

 一般に日常認知研究として挙げられる研究領域には,「し忘れ」を含む展望記憶prospective memory(予定の記憶)や顔や名前に関する記憶,認知地図や方向音痴とよばれる空間認知に関する記憶や認知,街頭数学street mathematics(賭博や商売のために,公教育の場以外で習得される計算能力など)や正統的周辺参加legitimate peripheral participation(LPP:社会的・文化的な活動に最初は周辺的なことからかかわり,徐々に中心的な活動に携わるようになる学習の形態)などの状況に埋め込まれた問題解決や学習など,さまざまに存在している。

 そこで用いられる研究法には,フィールドでの自然観察,参与観察(観察対象となる活動に参加しながら観察すること)や日誌法などがある。言語による自己報告(質問紙法を含む)も研究法の一つであるが,それのみに依存する一元的アプローチには危険性があり,注意が必要である。日常認知の過程は,意味ある対象に対する意味ある処理であると同時に,社会的・文化的に構成され,文脈に依存する行動として出現する。近年では認知の個人差を取り上げ,その発生機序や意味を検討するアプローチも注目されている。

ヒューマンエラーと使いやすさ】 現実世界の中で問題となり,しばしば人間の認知の問題として心理学的検討が求められる問題の一つが,ヒューマンエラーhuman errorである。「人は失敗するものであるTo error is human」といわれるように,人がエラーをすること自体は珍しいことではない。しかし,社会の高度情報化・高密度化に伴い,いわゆる巨大システム(工場のプラント制御や航空機などの操舵)以外の場であっても,人の起こした小さなエラーが大規模な事故の原因となることがある。そのため,人を含むシステム全体の安全性を保つために,人のエラーをいかに防ぐか,また生じたエラーを事故にしないためにどのような対策を取るべきかといった視点での研究が必要となった。ヒューマンエラーが問題となる場面の多くにおいて,人は道具やシステム,すなわち人工物artifactを用いた活動をしており,その人-人工物間相互作用の中でエラーが生じている。そのため,多くの事例で共通して同一のエラーが生じうる場合に,その人工物(道具,システム)のデザインを改善することによってヒューマンエラーを回避しうる可能性がある。その意味において,ヒューマンエラーの問題は認知工学の問題とも大きく関連している。

 また,とりわけ巨大システムの安全性を考えるときに,エラーの個人差を取り上げ,リスク認知や意思決定としての不安全行動といった認知的な過程の個人差が,ヒューマンエラーに結びつくといった視点からの研究も行なわれている。

【物の使いやすさ研究】 もう一つ,日常生活の中の問題として認知的アプローチが直接的に有効と考えられているのが,物の使いやすさusability研究である。これは,ヒューマン-マシンインターフェースhuman-machine interface(ユーザーインターフェースともよばれる)あるいは認知工学cognitive engineeringとほぼ同義である。いずれも人-人工物間相互作用を分析することにより,人にとっての「使いやすさ」を実現していこうとする研究領域である。具体的には,典型的なユーザー(人工物の使い手)が典型的な課題を実機を使って実施する様子を観察・分析するユーザビリティテストuserability test(人がコピー機を使って,片面の原稿から両面コピーの資料を作るなど)や現場での利用の様子を観察・分析する仕事の場分析workplace analysisなどが中心であり,まさに人が日常的に道具を使って行なう問題解決過程を追究する研究領域である。

 こうした研究は,日常の場における外的要因(その一つである人工物)を研究者側が体系的に操作可能であるため,日常認知研究のツールとしても有効である。たとえば,人工物デザインの比較の中で,操作時のフィードバック音の有無により,人の行動がどのように異なるかを検討することにより,人の視覚-運動的学習における,潜在的な聴覚情報の利用方略について検討することが可能である。また,対人相互作用における諸要因の検討を,人工物としてのロボットを利用して実験研究することも可能である(対話時のうなずきやジェスチャーの効果に関する実験研究など)。一般に人工物は,ユーザーにとって「自分が主体的に世界に働きかける際のメディア」すなわち道具として見えるか,「人工物が自分に代わって何かをしてくれる」エージェントとして見えるか,大きく二つの見方が可能とされている。その意味において,擬人化されやすい物理的な実体をもっているロボットは,後者のエージェント性が強い人工物として,研究対象としても研究ツールとしても興味深い存在となっている。 →空間認知
〔原田 悦子〕

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