日光例幣使(読み)にっこうれいへいし

精選版 日本国語大辞典 「日光例幣使」の意味・読み・例文・類語

にっこう‐れいへいし ニックヮウ‥【日光例幣使】

〘名〙 江戸時代朝廷から日光東照宮の四月大祭に差遣わした奉幣使元和三年(一六一七)四月の勅使派遣を初めとし、当時奉幣使と称したが、正保二年(一六四五)の宮号の下賜とともに例年四月下向の制となり、例幣使改称。勅使には参議をあて、幣帛内蔵寮より調進し、中山道および日光例幣使街道を経て四月一五日、日光に到着、翌日奉幣の式を行ない、帰路宇都宮より千住を経て江戸に入り、東海道経由で京都に達した。
随筆一話一言(1779‐1820頃)一六「日光例幣使文書二通写〈略〉東照宮幣帛事」

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デジタル大辞泉 「日光例幣使」の意味・読み・例文・類語

にっこう‐れいへいし〔ニツクワウ‐〕【日光例幣使】

江戸時代、朝廷から日光東照宮4月の大祭に差し遣わされた奉幣使

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改訂新版 世界大百科事典 「日光例幣使」の意味・わかりやすい解説

日光例幣使 (にっこうれいへいし)

江戸時代,朝廷より日光東照宮の例大祭に差遣された奉幣使。日光への勅使参向は1617年(元和3)の東照社鎮座に端を発するが,いわゆる例幣使発遣は,宮号を宣下され東照宮と称することになった45年(正保2)の翌年,参議持明院基定が臨時奉幣使として日光東照宮に発遣されたのに始まり,これより例となり毎年奉幣使が下向し,1867年(慶応3)に及んだ。奉幣使は中山道を通って4月15日に日光山に到着,翌16日の朝奉幣した。その次第は,明六ツ時に宿坊浄土院より手輿に乗り,石の鳥居前で下乗し,陽明門内の東回廊待合所へ参入,案内を得て宮門に登り,唐門より裾をひいて階上へ進み,拝殿中央で奉幣の式があり宣命を読む。退去して待合所に候し案内を待って階を昇り,みずからの参拝をも行って奉幣の式を終えた。日光例幣使の創始とともに,1647年には永く中絶していた伊勢例幣使も再興され,また奉幣使が通る道として例幣使街道が開かれた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日光例幣使」の意味・わかりやすい解説

日光例幣使
にっこうれいへいし

朝廷より日光東照宮に毎年幣帛(へいはく)を奉納するために参向した勅使。3代将軍徳川家光(いえみつ)の要請により1646年(正保3)臨時奉幣使として参議持明院基定(じみょういんもとさだ)が発遣され、4月13日江戸を発して日光山に赴き、17日東照宮の祭儀に臨んで奉幣した。翌年からは毎年奉幣使(例幣使)が朝廷から発遣されて宣命(せんみょう)を読み、1867年(慶応3)まで至った。これを機に、1647年には中絶していた伊勢(いせ)神宮奉幣使も復活された。例幣使は毎年3月末ないし4月1日に京都をたち、15日までに日光に到着し、大祭前日の16日に神前に奉幣し、30日に帰洛(きらく)した。一行は50名前後で、往路は中山道(なかせんどう)・例幣使街道を下り、帰路は日光街道・江戸・東海道を経て帰洛した。

[大野瑞男]

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百科事典マイペディア 「日光例幣使」の意味・わかりやすい解説

日光例幣使【にっこうれいへいし】

江戸時代,日光東照宮(とうしょうぐう)の例大祭に朝廷から派遣された奉幣使(ほうへいし)。勅使の日光参向は1617年東照社落成の時に端を発する。1645年,東照社に宮号が宣下されると翌1646年臨時奉幣使が下向し,以後毎年の例となる。例幣使の通る道として日光例幣使街道が開かれた。
→関連項目日光社参奉幣壬生通り

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日光例幣使」の解説

日光例幣使
にっこうれいへいし

江戸時代,京都の朝廷から日光の東照宮に対して毎年派遣された奉幣使。奉幣使は朝廷から尊崇する神社などに幣帛(へいはく)を捧げて代拝するための使者。伊勢例幣使が有名だが,天皇の祖廟ではなく武家政権の権力者に対するものという意味で,日光例幣使は特異であった。朝廷から東照宮に徳川家康忌日の4月17日に遣使されたのは,1617年(元和3)がはじめだが,46年(正保3)持明院基定が臨時奉幣使として派遣され,翌年伊勢例幣使の再興に先立って,毎年4月の家康の忌日の奉幣勅使が定められた。参議の公卿が任命され,中山道経由で東下し,上野国倉賀野宿から例幣使道をへて東照宮に到達,家康忌日前日に幣帛を奉納し,宣命を読みあげた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日光例幣使」の意味・わかりやすい解説

日光例幣使
にっこうれいへいし

江戸時代,朝廷から日光東照宮の大祭に派遣された奉幣使。東照宮落成の元和3 (1617) 年に始り,正保3 (46) 年から毎年行われ,奉幣使が京都より日光にいたる道を例幣使街道といった。 (→日光例幣使街道 )

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世界大百科事典(旧版)内の日光例幣使の言及

【日光社参】より

…江戸時代,日光東照宮に参詣すること。社参者には,日光例幣使,将軍,大名,旗本,御家人,一般の武士や農工商の庶民など,さまざまの身分階層にわたったが,御宮(東照宮)と大猷院(家光)御霊屋(おたまや)に拝礼を許されるのは旗本以上に限られ,御家人以下の身分の者は拝見が許されただけであった。江戸時代を通じて16度行われた将軍の社参は,4月17日(家康命日)の法要に集中しているが,莫大な費用と人手をともなうので,4代徳川家綱以降は8代吉宗,10代家治,12代家慶に各1回が記録されているにすぎない。…

※「日光例幣使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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