旅順攻略(読み)りょじゅんこうりゃく

百科事典マイペディア 「旅順攻略」の意味・わかりやすい解説

旅順攻略【りょじゅんこうりゃく】

日露戦争において,日本軍が行ったロシアの海軍基地旅順港の封鎖要塞(ようさい)攻撃。港口に船を自沈させ露国艦隊を閉塞(へいそく),バルチック艦隊到着前にステッセルの守備する要塞占領を急ぎ,乃木希典指揮の第3軍をもって短期奇襲を試みたが失敗。7ヵ月の苦戦のすえ二百三高地を占領し要塞砲による湾内艦隊への砲撃陥落させた。日本軍死傷5万9000人。なお日清戦争において遼東半島東岸の花園口(かえんこう)に上陸し,金州城を占領後,旅順の堡塁を陥落(かんらく)させた戦も旅順攻略とよぶ。
→関連項目桜井忠温ステッセリ広瀬武夫ロジェストベンスキー

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改訂新版 世界大百科事典 「旅順攻略」の意味・わかりやすい解説

旅順攻略 (りょじゅんこうりゃく)

1904年日露戦争が勃発すると,日本はロシアの太平洋艦隊の基地である旅順をバルチック艦隊の来着に先立ち占領し,制海権を確保するため,乃木希典の第3軍(4個師団,後方部隊を含み約13万)をもってロシア軍司令官A.M.ステッセリの守る旅順要塞を陸路攻撃した。同年8月第1回の総攻撃は強襲により行われたが失敗し,10月の第2回総攻撃は正攻法によったが再び失敗,11月よりの第3回総攻撃の途中から二百三高地に重点を変更してこれを占領,ここに観測所を設けて28cm重砲により港内のロシア艦隊のほとんどを撃破するに及び,05年1月1日旅順は陥落し,講和気運が生じてきた。日本軍の死傷は,5万9000人。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「旅順攻略」の解説

旅順攻略
りょじゅんこうりゃく

日露戦争では1904年(明治37)8月~05年1月,バルチック艦隊の極東回航前に港内のロシア艦隊を潰滅させ,連合艦隊を閉塞作戦から解放するための作戦であった。しかし要塞に立てこもるロシア軍(ステッセル司令官)の防備は堅く,第3軍(乃木希典(まれすけ)司令官)は肉弾による3度の正面攻撃をくり返したが失敗し,目標を203高地にかえ,大口径砲の使用によりようやく攻略。1月1日ロシア軍は降伏し,同月13日に日本軍が入城した。

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世界大百科事典(旧版)内の旅順攻略の言及

【日露戦争】より

…8月末から9月初めの遼陽の戦は,日露両軍が総力を結集した戦闘となり,双方ともに2万名以上の損害を出すという激戦となり,ここでもロシア軍は後退したが,日本軍の被った打撃も深刻なものがあった。他方,乃木希典(まれすけ)を司令官とする第3軍の旅順攻略も8月下旬から開始され,3度の総攻撃を含む攻囲戦は日本軍が6万名近い死傷者を出して,05年1月ようやく開城させることができた。3月の奉天会戦も日露両軍ともに最大限の兵力を結集しての激闘となり,日本側にとってこれ以上戦争を継続することは,軍事力のうえでも,戦費負担の面でも限界をこえるものになっていた。…

※「旅順攻略」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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