方違(読み)かたたがえ

精選版 日本国語大辞典 「方違」の意味・読み・例文・類語

かた‐たがえ ‥たがへ【方違】

〘名〙 方角をちがえること。陰陽道の説により平安以降行なわれた風習。他出する時、それが忌むべき方角に当たっている場合、前夜に別の方角へ行って泊まり、改めて目的の場所へ行くこと。天一神(なかがみ)太白神、金神(こんじん)などの遊行の方角を忌む。また、生年の干支(えと)によって避けたり、自家を避けて他家へ行ったりもする。かたたがい。→方忌(かたいみ)
古今(905‐914)雑上・八七六・詞書「方たがへに人の家にまかれりける時に」
[語誌]方角禁忌の思想は、中国より移入されたもの。しかし、「方違(かたたがえ)」という習俗は、中国に例を見出すことはできない。「三代実録‐貞観七年(八六五)八月二一日」に、「天皇遷東宮。御太政官曹司庁」とあるのが、方違の最古の記録と思われる。中世になると、「平家物語」をはじめとして、軍記物語などに「かたたがい」の形が見られる。

かた‐ちがえ ‥ちがへ【方違】

〘名〙 (形動)
方向を違えること。あちこち折れ曲がって続くこと。
※猿投本文選正安四年点(1302)一「墱道邐倚(カタチカヘ)にして以て正に東せり」
② くいちがうこと。思うことと逆になること。
※日蓮遺文‐新尼御前御返事(1275)「昔見しあまのりなり。色形あぢわひもかはらず。など我父母かはらせ給けんと、かたちがへなるうらめしさ」

かた‐たが・う ‥たがふ【方違】

連語〙 (「たがふ」はハ行下二段動詞) 方違(かたたがえ)をする。外出の方角が悪い場合、前夜によその方角に行って泊まり、そこから改めて目的の場所へ行く。
落窪(10C後)一「まらうどなん、しばしと思ひ侍りしを、四十五日のかたたがふるになん侍りける」

かた‐たがい ‥たがひ【方違】

平家(13C前)六「安元の比(ころ)ほひ、御方違(カタタガヒ)〈高良本ルビ〉の行幸有しに」

かた‐ちがい ‥ちがひ【方違】

〘名〙 (形動) 方向が違うこと。互い違いになること。食い違うこと。
※大日経天喜六年点(1058)四「二風輪を挙げて、参差(カタチカヒに)して相ひ押せ」

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改訂新版 世界大百科事典 「方違」の意味・わかりやすい解説

方違 (かたたがえ)

陰陽(おんみよう)道で忌むとされる方角を避ける風習。外出するのにその方角が禁忌とされる場合,前日に他の方角へ赴いて泊まり,そこから目的の地にゆくものである。方忌の根拠としては生年の干支である本命から個人的に凶方を割り出し,これを避けるものと,天一神(中神(なかがみ)),太白神,金神,王相,八将神,土公神などの諸神が遊行する方角や鬼門を忌む人々に共通のものとがある。前者は865年(貞観7)8月21日に清和天皇が東宮より内裏に移ろうとしたとき,天皇の本命が庚午で,東宮より内裏の方向である乾は絶命に当たるゆえ避けらるべきことを陰陽寮が上奏し,このためいったん太政官曹司庁に入っており,これが初例とされている。しかしその後は後者の遊行神の方忌による方が普通となった。天一神忌は860年ころにはじまり《源氏物語》の〈手習〉には僧都が長谷寺参詣の帰り,病んだ母尼を小野の家へつれもどすべきを,天一神の方塞りで宇治院に移した話をのせ,〈帚木〉では源氏が内裏から方塞りの左大臣邸へきて女房たちのすすめで伊予守の家へ移った次第が述べられている。しかしこの神が天上に上る日は天一天上とて何事も吉とされ,藤原実資はその日に寝殿の檜皮をふかせた。王相は月塞りの禁忌であり,八将神は大歳,大将軍,大陰,歳刑,歳破,歳殺,黄旛,豹尾の諸神をさす。とくに大将軍は太白神と同じく金星を意味し裁断をつかさどるといわれ,とくにその祟りをおそれ京都の周辺には平安末から大将軍社がまつられ,中世には八将神を祇園の牛頭天王(ごずてんのう)の子とするようになった。鬼門は北東隅にすむ鬼が出入する門のことで,中国古代の《山海(せんがい)経》や前漢の武帝(前2世紀)のころ,東方朔に儗托された《神異経》にみえ,比叡山延暦寺は平安京の鬼門を守って建てられたとする思想が平安時代末にあらわれた。公家の方違は夜,車に乗ってしかるべき地点へゆき,そこで車を止めて夜を明かし,明け方になって戻るものであるが,鎌倉時代は武家にもみられた。1241年(仁治2),多摩川の水を武蔵野の水田へ引くに際し,土公神の禁忌ありとて,第4代将軍藤原頼経は秋田城介義景の武蔵野鶴見別荘へ方違しており,これは前例のない珍しいことであった。江戸時代には形式化して枕だけを移動させる風が生じた。庶民社会では方違神社参詣の俗信が興り,禁忌の方向に対して舎宅を構えたり,窓や垣を開いたり塞いだり,あるいは旅行・回船の門出などをなすものは,この神社に参れば方違の意味が生ずるとするもので,大阪府堺市堺区の方違神社は有名である。京都では洛南鳥羽の城南宮(真幡寸(まはたき)神社)が有名で,禁忌の方向に造作したり,転宅したりするとき,境内の土を持ち帰ってまけば,祟りを避けられるという。かくて方忌呪術の簡略化の結果は方違本来の意味をまったく一変させてしまったのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「方違」の意味・わかりやすい解説

方違
かたたがえ

方位観によって凶方にあたる方角を避けようとするための呪術(じゅじゅつ)的手段。平安時代に伝来し、普及した陰陽道(おんみょうどう)の方位による吉凶説から生じた風習だといわれている。天一神(なかがみ)、八将神(はっしょうじん)、金神(こんじん)などが遊行する方角を避けるのである。この避けるべき方角を方塞(かたふたが)りという。方塞りの方角へ行くのを忌むことが方忌(かたい)みである。目的地が方塞りの方角にある場合には、方忌みのために他の方角の所で泊まり、翌日改めて方角を変えて出かける。このように方角を変えて目的地に達する手段を方違という。方違のために泊まる宿を方違所(かたたがえどころ)とよぶ。方忌みを犯した祟(たた)りを方祟(かたたた)りなどといった。どの方角が凶方かは陰陽師や民間宗教者、暦などによって教示されてきた。

[佐々木勝]

 また、現在の居所よりみて、禁忌の方角で造作などが行われることによって忌みが生じた際に、他所に宿することによって、その忌みを移すことが記録にみえるが、それも方違とよばれた。諸神中もっとも有名なのは、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』が「奈加加美」(中神)とよぶ天一神で、天上にある16日間以外は遊行の方にあたる四方四維を犯すことを忌んだ。のち、安倍(あべ)、賀茂(かも)などの陰陽道の家の固定化とともに、著しく形式化した。

[杉本一樹]

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百科事典マイペディア 「方違」の意味・わかりやすい解説

方違【かたたがえ】

平安〜鎌倉時代に行われた呪術(じゅじゅつ)的方法の一つ。目的地の方角が,その年の金神(こんじん)の座位であったり,天一神が巡っている方角に当たったりして悪いとき,いったん別の方角へ出て知人の家や神社,仏閣などに寄ったり,一夜を明かしたりした後,目的地へ向かうこと。方塞(かたふたぎ),方忌(かたいみ)などともいう。→陰陽道
→関連項目吹田吹田[市]物忌

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「方違」の解説

方違
かたたがえ

方忌(かたいみ)のために,目的地の方角を変えていき,身にふりかかる災いをさけようとしたこと。平安初期から江戸時代まで行われた陰陽道(おんみょうどう)の禁忌・呪法。外出のたびに吉凶の方向を占い,凶方にあたる場所・方向(方塞(かたふたがり))をさけた。天一神(なかがみ)のいる方向にあたれば,前夜に1度吉方(えほう)の家に場所を移して1泊し,方向を変えて翌日目的地に出発する。凶方の日時・方位は民間の卜占(ぼくせん)者や運勢暦などによって判じられた。最も古い型は本命(生年の干支(えと))により方違をするもので,平安中期以降は天一神の遊行(ゆぎょう)方向を,平安末期からは年により忌避の方角を定める金神(こんじん)方をおもに忌避した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「方違」の意味・わかりやすい解説

方違
かたたがえ

陰陽道で方角をたがえること。外出のとき,天一 (てんいち) 神,太白 (たいはく) 神,金神 (こんじん) などの遊行する方角を避け,いったん吉方 (えほう) に移り,方角を変えてから目的地に向った。この風習は平安時代の公家社会で盛行した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「方違」の解説

方違
かたたがえ

忌むべき方位を避けて災いをのがれようとすること
目的地の方角が悪いとき,前日に別の場所に泊り,当日はそこから出かける。陰陽道の方術の一種で,平安時代の貴族社会で広く行われた。

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世界大百科事典(旧版)内の方違の言及

【金神】より

…金の性のゆえに金神と称された。《中右記》の1114年(永久2)の記事に,金神を忌み方違(かたたがえ)をする習俗のあったことを記し,《本朝世紀》《百練抄》《玉海》などの文献にも同様の記事がある。南北朝時代の《簠簋(ほき)内伝》には,〈金神は,巨旦大王の精魂なり〉と説き,遊行するものとされ,金神七殺の方として,甲(きのえ)己(つちのと)の年は午未申酉(うまひつじさるとり)の方,乙(きのと)庚(かのえ)の年は辰巳戌亥(たつみいぬい)の方,丙(ひのえ)辛(かのと)の年は子丑寅卯(ねうしとらう)の方,丁(ひのと)壬(みずのえ)の年は寅卯戌亥(とらういぬい)の方,戊(つちのえ)癸(みずのと)の年は子丑申酉(ねうしさるとり)の方にいると記されている。…

※「方違」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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