新美南吉
にいみなんきち
(1913―1943)
児童文学者。大正2年7月30日、愛知県半田町(現半田市)に生まれる。本名正八(しょうはち)。10代の末にすでに『赤い鳥』に投稿、「ごんぎつね」その他が掲載された。1932年(昭和7)東京外国語学校英語部入学、小説、童話、童謡を書く。卒業後、貿易商に勤務したが喀血(かっけつ)で帰郷。不遇な時代を経て、38年安城(あんじょう)高等女学校教諭となる。友人江口榛一(えぐちしんいち)の尽力で『哈爾賓(ハルピン)日日新聞』に「最後の胡弓(こきゅう)ひき」などを、また巽聖歌(たつみせいか)編の『新児童文化』に「川」「嘘(うそ)」などを発表。41年『良寛物語・手毬(てまり)と鉢の子』を、42年第一童話集『おぢいさんのランプ』を刊行。同年5月には、郷里を背景に古き懐かしき時代の善人を民話的スタイルで書いた「牛をつないだ椿(つばき)の木」「百姓の足・坊さんの足」ほか数編の傑作を集中的に書くが、翌年3月22日咽喉(いんこう)結核で没。死後、第二童話集『牛をつないだ椿の木』、第三童話集『花のき村と盗人(ぬすびと)たち』(ともに1943)が刊行された。その作品は第二次世界大戦後高く評価され、宮沢賢治と並び称せられるに至る。
[浜野卓也]
『『校定新美南吉全集』12巻・別巻2(1980~83・大日本図書)』▽『『おじいさんのランプ』(偕成社文庫・フォア文庫・ポプラ社文庫)』▽『『牛をつないだ椿の木』(角川文庫)』▽『『花のき村と盗人たち』(講談社文庫)』▽『佐藤通雅著『新美南吉童話論』(1970・牧書店)』▽『浜野卓也著『新美南吉の世界』(1973・新評論/講談社文庫)』
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新美南吉
にいみなんきち
[生]1913.7.30. 愛知,半田
[没]1943.3.22. 愛知
童話作家。 1936年東京外国語学校英文科卒業。『正坊とクロ』 (1931) ,『ごん狐』 (32) などにより鈴木三重吉に認められ,北原白秋,与田凖一らの知遇も得たが,最初の童話集『おじいさんのランプ』 (42) を残したのみで結核のため夭折した。没後『牛をつないだ椿の木』 (43) ,『花のき村と盗人たち』 (43) などが刊行され,その近代性が再評価された。ほかに小説集『花を埋める』 (46) ,詩集『墓碑銘』 (62) など。
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新美南吉 にいみ-なんきち
1913-1943 昭和時代前期の児童文学者。
大正2年7月30日生まれ。昭和6年から「赤い鳥」に童話・童謡を投稿し,「ごん狐」などが掲載される。病気とたたかいながら童話集「おぢいさんのランプ」などを発表。昭和18年3月22日死去。31歳。死後,童話集「花のき村と盗人たち」「牛をつないだ椿の木」などが刊行され,たかく評価された。愛知県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。旧姓は渡辺。本名は正八。
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新美南吉【にいみなんきち】
児童文学者。愛知県生れ。本名正八。東京外語卒。鈴木三重吉に見いだされ,《赤い鳥》に童話や童謡を発表,1942年,童話集《おぢいさんのランプ》で認められた。生活に密着したユーモアのある作品で,将来を嘱望されたが,翌年没した。童話集《花のき村と盗人たち》《牛をつないだ椿の木》などが没後に出た。全集がある。
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にいみ‐なんきち【新美南吉】
児童文学者。本名正八。愛知県出身。「赤い鳥」に「ごん狐」などの童話を発表。豊かなストーリー性と郷土色を特徴とする多くの童話を発表。童話集「おぢいさんのランプ」「花のき村と盗人たち」など。大正二~昭和一八年(一九一三‐四三)
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デジタル大辞泉
「新美南吉」の意味・読み・例文・類語
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にいみなんきち【新美南吉】
1913‐43(大正2‐昭和18)
児童文学者。愛知県の生れ。本名渡辺正八。東京外語英語部卒業。半田中学在学中から《少年俱楽部》《愛誦》などの諸雑誌に投稿したり,級友たちと作品朗読会を開くほか,同人誌《オリオン》を出すなど,早熟な文学少年であった。1931年の中学卒業前後に書いた《ごん狐》《正坊とクロ》などの童話が鈴木三重吉に認められて《赤い鳥》に掲載され,その縁で巽聖歌,与田準一などの同人誌《チチノキ》に参加,多くの童謡を発表した。
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世界大百科事典内の新美南吉の言及
【児童文学】より
…これは,回想的・私小説的方法とともに,児童文学から物語性に富んだおもしろさをうばいとり,子どもを通俗文学のとりことして放置する結果を生んだ。その間にあって,宮沢賢治,新美南吉の童話は想像ゆたかな物語性で異色を放ち,また幼年童話における浜田広介は独特な調子で近代説話を語り,それぞれ戦中・戦後にわたって広範な読者をもった。 第2次世界大戦後,平和と民主主義という新しい価値観の到来とともに,《赤とんぼ》《銀河》《子供の広場》など文化的・進歩的な児童雑誌の創刊があいつぎ,一種熱っぽい状況のなかで,石井桃子《ノンちゃん雲に乗る》(1947),竹山道雄《ビルマの竪琴(たてごと)》(1948),壺井栄《二十四の瞳》(1952)など今日にも残る作品が生まれた。…
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