新栄町七丁目(読み)しんえいちようななちようめ

日本歴史地名大系 「新栄町七丁目」の解説

新栄町七丁目
しんえいちようななちようめ

[現在地名]中央区明石町あかしちよう

新栄町六丁目の南に続き、西は入船いりふね町七丁目、東は新湊しんみなと町七丁目。明治元年(一八六八)起立。豊前中津藩奥平氏中屋敷および旗本松平氏・奥医師増田寿庵、陸奥棚倉藩(のち武蔵川越藩)松平(松井)氏の各屋敷の東部に相当する。沿革図書によれば、この地は延宝年中(一六七三―八一)には全域が播磨赤穂藩浅野氏上屋敷。天和年中(一六八一―八四)には東部に中津藩屋敷が設定され、元禄一四年(一七〇一)に赤穂藩が断絶したのち、享保年中(一七一六―三六)には旗本宮原氏・本目氏らの屋敷となっている(沿革図書・享保年中江戸絵図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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