新思潮(読み)しんしちょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新思潮」の意味・わかりやすい解説

新思潮
しんしちょう

文芸雑誌。第一次は1907年(明治40)10月、小山内薫(おさないかおる)の個人誌として出発し、翌年3月まで全6冊刊行。第二次以後同人制となり、70年代後半まで19次にわたって継承刊行されている。数多くの文学者がこの雑誌を足掛りとして文壇に登場したが、文学史上だいじなのは第四次までであり、とくに第三、四次の同人に対しては新思潮派の名称が与えられている。『新思潮』という誌名が示すように、第一次は海外の近代劇や新文芸の紹介に力を入れ、イプセン論やチェーホフ、ツルゲーネフの翻訳などを載せている。

 第二次は1910年9月創刊、翌年3月まで全7冊を刊行。第二次からは同人制をとり、以後この雑誌は東京大学系の同人雑誌とみなされていく。主要な同人は小山内のほか、谷崎潤一郎、後藤末雄、和辻(わつじ)哲郎らであり、谷崎の小説と和辻の史劇が目をひいた。

 第三次は1914年(大正3)2月創刊、9月まで全8冊刊行。豊島与志雄(とよしまよしお)、山本有三久米(くめ)正雄、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)ら同人は10名で、豊島の小説『湖水彼等(かれら)』と久米の戯曲牛乳屋の兄弟』が収穫であった。

 第四次は1916年2月創刊、翌年3月まで全11冊を刊行。同人は芥川龍之介、菊池寛久米正雄、松岡譲(ゆずる)、成瀬正一(せいいち)の5名である。創刊号に載った芥川の『鼻』は、夏目漱石(そうせき)に絶賛されるが、次号以下にも久米の戯曲『阿武隈(あぶくま)心中』、菊池の戯曲『父帰る』、松岡の小説『青白端渓(たんけい)』などいずれも力のこもった作品が載り、広く注目された。同人に共通した明快な主題の処理と的確な技法から彼らは新理知派、新技巧派ともよばれることとなる。

 第五次以降にも、ときにみるべきものもあるが、雑誌づくりの熱気やその内容は、第四次をピークとし退潮していく。第一次~第四次の復刻版(臨川書店刊)がある。

[関口安義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新思潮」の意味・わかりやすい解説

新思潮
しんしちょう

文芸雑誌。 (1) 第1次  1907年 10月~08年3月。小山内 (おさない) 薫が主宰した芸術総合誌で,H.イプセンなど演劇を中心とする外国文学の翻訳紹介に努めた。 (2) 第2次  10年9月~11年3月。小山内を中心に谷崎潤一郎,和辻哲郎,後藤末雄ら東京大学文科系同人誌として出発。特に『刺青』『麒麟』など谷崎の諸作品が注目を浴びた。 (3) 第3次  14年2月~同年9月。山本有三,豊島与志雄,久米正雄,芥川龍之介,松岡譲,菊池寛らが創刊。久米が『牛乳屋兄弟』,豊島が『湖水と彼等』で文壇に登場。 (4) 第4次  16年2月~17年1月。久米,芥川,松岡,菊池らが再刊。芥川の『』が夏目漱石の激賞を受け,全同人が文壇への登場を果した。この第3次,第4次の同人を世に『新思潮』派と呼び,同誌名は東京大学文科生に継承されて第 17次にいたっている。その間,川端康成,今東光 (第6次) ,浅野晃,飯島正,大宅壮一,小松清,手塚富雄 (第7次) ,秋山六郎兵衛,青江舜二郎,深田久弥 (第9次) ,那須辰造,福田清人 (第 10次) ,杉森久英,檀一雄 (第 11次) ,森本薫 (第 12次) ,中井英夫,吉行淳之介 (第 14次) ,三浦朱門,村上兵衛,曾野綾子,有吉佐和子 (第 15次) らが同人として記録されている。

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百科事典マイペディア 「新思潮」の意味・わかりやすい解説

新思潮【しんしちょう】

おもに東大文科生を中心とする文芸同人雑誌。第1次は1907年10月〜1908年3月まで,全6冊。潮文閣発行。小山内薫の個人編集により,海外の近代劇,文芸思潮を紹介した新劇運動に貢献。第2次は1910年9月〜1911年3月まで,全7冊。新思潮社発行。小山内,和辻哲郎谷崎潤一郎らで刊行。耽美(たんび)的傾向で自然主義に対立し,潤一郎の《刺青》,《麒麟》などを掲載。第3次は1914年2月〜9月まで,全8冊。啓成社発行。山本有三久米正雄菊池寛芥川龍之介,成瀬正一,松岡譲らで刊行。久米の戯曲《牛乳屋の兄弟》などを掲載。第4次は1916年2月〜1917年3月まで,全11冊。東京堂発行。久米,芥川,菊池,松岡,成瀬で刊行。芥川の《》などを掲載。第3・4次から出た作家は〈新思潮派〉と呼ばれ,その知的・技巧的な作風から〈新現実派〉とも呼ばれる。以後十数次にわたり刊行され,出身作家には,川端康成今東光深田久弥吉行淳之介,曾野綾子などがいる。
→関連項目大宅壮一白樺派豊島与志雄福田清人

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精選版 日本国語大辞典 「新思潮」の意味・読み・例文・類語

しん‐しちょう ‥シテウ【新思潮】

[1] 〘名〙 新しい思想の傾向。
※近年の文海に於ける暗潮(1896)〈戸川秋骨〉「われ等絶東の孤島にあるものと雖も西欧の思潮を究むるもの、注意して其の新思潮を伝へ」
[2] 文芸同人雑誌。明治四〇年(一九〇七)小山内薫(おさないかおる)が創刊した芸術総合雑誌を第一次とし、以後十数次を数える。第二次は小山内、谷崎潤一郎らで同四三年に創刊。第三次は山本有三、久米正雄、芥川龍之介、菊池寛らで大正三年(一九一四)に、第四次は同五年、久米、芥川、菊池らで創刊した。特に第三次と第四次が著名で、その同人を「新思潮派」と呼ぶ。

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旺文社日本史事典 三訂版 「新思潮」の解説

新思潮
しんしちょう

明治末期・大正期の文芸雑誌
第1次(1907〜08)は小山内薫 (おさないかおる) が創刊。第2次(1910〜11)は小山内・谷崎潤一郎・和辻哲郎らが復刊。第3次(1914)は芥川竜之介・菊池寛・久米正雄・山本有三らが復刊。第4次(1916〜17)は第3次の復刊。東大文科・一高系の同人雑誌として,以後も断続的に刊行された。一般に「新思潮派」とは第3・4次の同人たちで,現実を知的に解釈するところに共通性があった。

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デジタル大辞泉 「新思潮」の意味・読み・例文・類語

しんしちょう〔シンシテウ〕【新思潮】

文芸同人雑誌。第一次は明治40年(1907)小山内薫おさないかおるが創刊。第二次は明治43年(1910)に小山内薫・谷崎潤一郎ら、第三次は大正3年(1914)に山本有三久米正雄菊池寛芥川竜之介ら、第四次は大正5年(1916)に芥川・菊池・久米らが創刊。以後、十数次に及ぶ。

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世界大百科事典 第2版 「新思潮」の意味・わかりやすい解説

しんしちょう【新思潮】

文芸雑誌。小山内薫(おさないかおる)の個人編集による演劇中心の芸術総合誌として,1907年(明治40)に創刊されたのに始まる。10年再刊の第2次から同人制の文芸雑誌となり,今日まで東大系の雑誌として19次に及ぶ。第2次は谷崎潤一郎の《刺青(しせい)》を掲載したことで知られる。歴史的に見て重要なのは,第3・4次である。第3次は14年(大正3)に8冊出ており,豊島与志雄の小説《湖水と彼等》,久米正雄の戯曲《牛乳屋の兄弟》が注目され,ほかに芥川竜之介,菊池寛,山本有三,土屋文明らが活躍した。

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