新宿(しんじゅく)(読み)しんじゅく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新宿(しんじゅく)」の意味・わかりやすい解説

新宿(しんじゅく)
しんじゅく

東京都新宿区の南西部、JR新宿駅を中心とする地域。町名としては新宿1~7丁目、西新宿1~8丁目、北新宿1~4丁目などがある。新宿駅にはJR山手(やまのて)線・中央線・総武(そうぶ)線・埼京線・中央本線・湘南(しょうなん)新宿ライン、京王電鉄京王線、小田急電鉄、西武鉄道新宿線、および東京地下鉄丸ノ内線、都営地下鉄新宿線・大江戸線(12号線)が集中し、JR新宿駅は日本最大の乗降客数(乗車人員1日平均79万人、2007年)の駅となっている。武蔵野(むさしの)台地にあり、西端に神田川(かんだがわ)(旧、神田上水)が流れる。

 1604年(慶長9)五街道の一つの甲州街道が整備されたが、当時は日本橋からの最初の駅は高井戸(杉並区)であった。その間は約16キロメートルもあって不便なので、1698年(元禄11)その中間に新しく宿駅を設けることになり、信州(長野県)高遠(たかとお)藩主内藤(ないとう)氏の下屋敷の一部を宿駅としたので内藤新宿とよばれた。ここは甲州街道と青梅街道(おうめかいどう)が分かれる追分(おいわけ)(現在、その地点に「追分だんご」の店がある)であり、品川、板橋、千住(せんじゅ)とともに江戸四宿の一つとして栄えた。宿場は現在の新宿御苑(ぎょえん)の北側にあたり、成覚(じょうかく)寺は当時の遊女の投げ込み寺で、内藤氏の菩提(ぼだい)寺太宗(たいそう)寺には旅人の無事を祈る六地蔵の一つが残る。

 1885年(明治18)日本鉄道会社線(現、JR山手線)、1889年甲武鉄道(中央本線)が開通した。新宿の発展は関東大震災後からで、現JR中央線、小田急電鉄線(1927年開通)、京王電鉄線(1916年開通)沿線の急激な住宅地化により、そのターミナルとして、麹町(こうじまち)から四谷(よつや)を経て新宿が盛り場となり始めた。デパートは1926年(大正15)布袋(ほてい)屋(1935年伊勢丹(いせたん)に合併)、1929年(昭和4)三越(みつこし)が開業(2012年営業終了)、映画館、劇場も相次いで開かれた。第二次世界大戦後、西郊の都市化はいっそう激しくなり、巨大な人口を擁する後背地をもつ新宿の発展は著しくなった。戦災で焼失した新宿駅北方の地の一角を1948年(昭和23)歌舞伎町(かぶきちょう)と命名して、新宿コマ劇場(2008年末に閉館)をはじめ映画館、劇場、飲食店街など一大アミューズメントの地区とした。この南東端に酉(とり)の市が立つ花園神社(はなぞのじんじゃ)、旧都電の軌道跡に設けられた全長260メートルの遊歩道公園(モール)の「四季の路(みち)」がある。1970年代には銀座を抜いて日本最高の地価が駅東口に出現した。南東の新宿御苑は広大な国民公園である。駅西側の西新宿の十二社熊野神社(じゅうにそうくまのじんじゃ)には弁天池があり、門前には大正時代以降十二社花柳界が栄え、1950年代には天然温泉も掘られた。1904年(明治37)淀橋浄水場(よどばしじょうすいじょう)が設置され、東側に比べ発展が遅れていた。しかし1965年浄水場を東村山市に移転し、その周辺約96万平方メートルを新宿副都心とする都市再開発が計画された。1971年京王プラザホテルが建てられて以来、超高層ビルが林立し、1991年(平成3)には新都庁舎が完成して都庁が移転、一帯は新宿中央公園とともに東京の新名所となっている。

[沢田 清]

『清水馨八郎編『新宿副都心研究』(1964・副都心研究会)』『芳賀善次郎著『新宿の今昔』(1970・紀伊國屋書店)』『『新宿と石造文化』(1970・新宿区)』


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