百科事典マイペディア 「文永・弘安の役」の意味・わかりやすい解説
文永・弘安の役【ぶんえいこうあんのえき】
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1274年(文永11)と81年(弘安4)の2度にわたって行われたモンゴル(元)軍の日本来襲。蒙古襲来,蒙古合戦,元寇,また文永・弘安の役ともいう。
[日蒙交渉]
1266年8月,モンゴルのフビライ・ハーンは日本と通好するために日本招諭の国書を草した。…
※「文永・弘安の役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
線状に延びる降水帯。積乱雲が次々と発生し、強雨をもたらす。規模は、幅20~50キロメートル、長さ50~300キロメートルに及ぶ。台風に伴って発達した積乱雲が螺旋らせん状に分布する、アウターバンドが線状...