文書館(読み)もんじょかん(英語表記)archives
record office

改訂新版 世界大百科事典 「文書館」の意味・わかりやすい解説

文書館 (もんじょかん)
archives
record office

中央の政府諸官庁,地方自治体などの公的機関,宗教団体,大学,研究所などの教育・研究機関,私企業その他諸個人が,日々の業務執行上必要とされる文書・記録を保管する場所。これらの文書・記録は〈保管文書archives〉と呼ばれ,手書き,タイプ印字,活版印刷のもの,さらにそれに付属する付図印章なども含まれる。保管文書は専門の管理者(文書館員archivist)により保管され,必要に応じて参照されうる状態に置かれる。保管文書はその他の文書・記録と異なる二つの特徴を有する。第1にそれは,保管する母体の諸活動の忠実な反映である。例えば,法人の存続とともに数は増加し,母体の構成の変化は保管文書の構成の変化として現れる。第2に,保管文書の信憑(しんぴよう)性はきわめて高く,法的証拠力を有する。その真実性は,母体が参照資料としてみずから管理しているという事実に裏づけられている。保管文書は,その母体となる機関の廃止,個人の死とともに,保管文書としての性格を失い,散逸の危険にさらされるが,一体性をそこなうことなく歴史的文書として他の文書館に保存される場合もある。不幸にして散逸した場合,特別の価値ある文書・記録は,標本として博物館に納められることがある。図書館や博物館が現実に文書館として機能する場合があるが,原理的,機能的に文書館とは峻別されるべきである。

 近代的文書館の成立はまずフランスにみられた。フランス革命期の1794年,アンシャン・レジームの文書・記録を保存するためにフランス国立中央文書館の設置が法令で定められた。文書館として十分機能しはじめたのは1840年代以降で,国立古文書学校(1821設立)による文書館員の養成が寄与している。イギリスでは,1838年の公文書法の公布によって,ロンドン公文書館Public Record Officeが設立され,文書長官Master of Rollsの下に統合的に保管されることになった。第1次大戦中には,戦時文書・記録の保存問題を契機として,文書館学,保管文書についての原則が確立した。1930年代以降,州文書館の整備が進み,45年に〈歴史文書に関する勅任委員会〉の主導の下に〈全国文書登録制〉が発足,全国的に古文書の検索が可能となった。ドイツでは古くから領邦ごとに文書館の整備をみたが,帝国文書館Reichsarchivがポツダムに置かれたのは1919年のことで,第2次大戦後,西ドイツコブレンツに,東ドイツはポツダムにそれぞれ国立公文書館を置いた。アメリカ合衆国の国立公文書館は1934年にワシントンD.C.に設立された。
執筆者:

日本の文書館制度は世界各国に比較してきわめて遅れている。近代的な歴史学の導入・発達に従い古文書学も輸入されたが,文書の真偽鑑定など歴史学の補助学の地位に置かれ,近世以降の文書を主対象としないなど体系化しえず,史料としての古文書記録類の編纂事業は進められても,それらの保存・利用体制は制度的に未熟であった。1869年(明治2)明治天皇の沙汰書により大学校国史編輯局が置かれ修史事業を開始したが,93年編年史の形の史誌編纂事業を停止,収集史料の編纂を行うために95年帝国大学文科大学史料編纂掛が設置され,1901年《大日本史料》《大日本古文書》を発刊,29年史料編纂所と改称,50年東京大学付置研究所の一つとなった。史料編纂所は日本に関する史料の研究,編纂および出版を行うことを目的に,古文書・古記録・古書の収集,複本の作成,ほかに寄贈・移管により原本も保存するが7万点余にすぎない。《大日本史料》編纂対象年代の当面の下限が1651年(慶安4)であるため,近世以降の史料収集は不十分である。江戸幕府文書は明治政府に引き継がれたものもあるが,古代以来の文書・記録類は寺社,公家,武家に伝来し,文庫をつくって保存してきたところもあり,近世の村方文書や私文書も旧家に伝来してきた。一方,明治以降の官公庁の公文書は書庫が狭隘(きようあい)なため文書の保存年限を定めて史料的価値のある有期限文書もほとんど廃棄し,対策としての文書館をつくらないできた。

 第2次大戦後の社会変動は,戦災を免れた旧華族・地主所有の文書・記録類を散逸・隠滅の危機にさらしたが,保存対策として1947年文部省は近世以降の文書・記録類の収集事業を開始,翌年から近世庶民史料調査委員会が全国的な史料所在調査を実施した。これら収集調査史料の保存利用機関として49年野村兼太郎ほか95名の〈史料館設置に関する請願〉が国会で採択され,51年東京都品川区に文部省史料館(現,東京都立川市の国文学研究資料館)の発足をみた。しかし組織・規模も小さく,全国的な保存機関の機能は果たしているとはいえない。国の公文書については59年日本学術会議が国立文書館設置のための〈公文書散逸防止に関する建議〉を政府に勧告,71年総理府所管の国立公文書館が東京都千代田区に設置され,内閣文庫はその組織に組み入れられた。規模は大きいとはいえず,中央官庁公文書を収集対象とするが外務省,防衛庁には別個の施設があり,出先機関の公文書収集までには至っていない。

 地方自治体では,1959年山口県立図書館から山口県文書館が分離・独立したのを最初に,63年京都府立総合資料館,68年東京都公文書館,69年埼玉県立文書館,70年福島県文化センター歴史資料館,72年神奈川県立文化資料館,74年神奈川県藤沢市文書館,77年岐阜県歴史資料館,広島市公文書館,81年横浜開港資料館,82年群馬県立文書館,京都市歴史資料館,84年川崎市公文書館,85年大阪府公文書館,兵庫県県政資料館,北海道立文書館,86年愛知県公文書館,栃木県立文書館,87年富山県公文書館,大阪市公文書館,88年広島県立文書館,千葉県立文書館,89年八潮市資料館,名古屋市政資料館,90年鳥取県文書館,徳島県立文書館,92年新潟県立文書館,93年秋田県公文書館が設立された。ほかに三重県,香川県,長野県において設立を予定し,設立検討中も多い。また神奈川県では別に公文書館の設立を準備している。地方の史料保存・利用については学会や地域の運動が支えになり,学術会議は1969年〈歴史資料保存法の制定について〉,80年〈文書館法の制定について〉の勧告を政府に行い,87年12月議員立法によってようやく公文書館法が成立,88年6月施行された。収集対象の中心は公文書であり,古文書・私文書が副次的に扱われているなど問題点が多いが,専門職員を置くことを明示するなど一定の成果がある。情報公開制度の実施に関連して文書館設置の気運が高まってきたが,文書館の設置基準,所轄,職員の身分・資格や養成の問題,収集対象(公文書中心か歴史資料中心か)などに差があって将来に課題を残している。
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文書館 (ぶんしょかん)

文書館(もんじょかん)

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図書館情報学用語辞典 第5版 「文書館」の解説

文書館

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百科事典マイペディア 「文書館」の意味・わかりやすい解説

文書館【もんじょかん】

古記録や公私の文書に限って収集・整理・保存して研究者の利用に供する所。欧米諸国では,その国その時代の歴史研究には重要な役割をもつものとして早くから発達している。日本の文書館制度はきわめて遅れているのが現状であるが,ようやく1987年に公文書館法,1999年に国立公文書館法が制定された。

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世界大百科事典(旧版)内の文書館の言及

【文書館】より

…これらの文書・記録は〈保管文書archives〉と呼ばれ,手書き,タイプ印字,活版印刷のもの,さらにそれに付属する付図や印章なども含まれる。保管文書は専門の管理者(文書館員archivist)により保管され,必要に応じて参照されうる状態に置かれる。保管文書はその他の文書・記録と異なる二つの特徴を有する。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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