文智女王(読み)ぶんちじょおう

朝日日本歴史人物事典 「文智女王」の解説

文智女王

没年元禄10.1.13(1697.2.4)
生年:元和5.6.20(1619.7.30)
江戸前期の皇女円照寺開山。後水尾天皇の第1皇女。母は御与津御寮人。幼称は梅宮,のち沢宮。その出生徳川秀忠の娘和子(東福門院)の入内を目前にしていた幕府を刺激し,朝幕間に大きな波紋を生んだ。寛永8(1631)年鷹司教平 に嫁したが,3年後に離縁。同17年父後水尾上皇が帰依していた禅僧一糸文守について得度し,大通文智と称した。以後一糸に深く帰依し,晩年には一糸開山の霊源寺の行末を案じるほどであった。洛北修学院に庵室(のち円照寺)を設けたが,のちに大和国添上郡八島村(奈良市八島町)に移し,さらに現在地(同市山町)に移転した。東福門院の配慮により寺領200石を得た。なお円照寺は明治初年まで比丘尼門跡に列した。<参考文献>末永雅雄西堀一三『文智女王』,熊倉功夫『後水尾院』

(久保貴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「文智女王」の解説

文智女王 ぶんちじょおう

1619-1697 江戸時代前期,後水尾(ごみずのお)天皇の第1皇女。
元和(げんな)5年6月20日生まれ。鷹司教平(たかつかさ-のりひら)にとついだが,のち離婚。一糸文守(いっし-ぶんしゅ)について得度(とくど)し,大和(奈良県)円照寺(山村御所)の初代門跡(もんぜき)となった。元禄(げんろく)10年1月13日死去。79歳。幼称は梅宮,沢宮。法号は大通。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「文智女王」の解説

文智女王 (ぶんちじょおう)

生年月日:1619年6月20日
江戸時代前期;中期女性。後水尾天皇の第1皇女
1697年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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