文人共和国(読み)ぶんじんきょうわこく

大学事典 「文人共和国」の解説

文人共和国[仏]
ぶんじんきょうわこく

[文人共和国理念

文人共和国とは,16世紀から18世紀の時期,すなわちルネサンス期から啓蒙期にかけて,学問に携わる者たちが政治的,宗教的な国境を越えて,知の共有によって建設しようとした独自の共同体である。「文人hommes de lettres」という語が用いられてはいるが,これは「文学」といった限定的な意味ではなく,より広く「学問」「学識」「知識」「科学」に関わる者といった意味でとらえられるべきである。文人共和国という言葉は,15世紀はじめごろから徐々に用いられるようになり,16世紀の最初の四半期以降には日常的な語となった。その理念的な特徴として,以下のような諸点をあげることができる。

(1)文人共和国は理念的に独自の「国家」として想定される。それは独自の政体として,すなわち固有の法律を持ち,またその構成員がお互いを文人共和国の「市民」と呼び合うような国家として特徴づけられる。確かにこうした表現は,現実の国家と比較した場合の正当性という問題を引き起こし得たにせよ,学者たちは自分たちの共同体を,国家のように固有の法律と主権をもつ組織として,抽象的に想定することができた。

(2)文人共和国は地理的な国境を越えた普遍的なものとしてとらえられる。現実のヨーロッパが国家によって分断されて現れてくるのに対して,文人共和国は単一で広範な地理的広がりを有するものとしてとらえられていた。この普遍性は,理念的には地球全体の規模にまで広がり得たが,現実にはヨーロッパという枠のなかで認識されることが多かった。

(3)文人共和国は平等な市民によって構成される。当時は一般に出生に伴うと考えられていた権利と特権が否定され,アンシャン・レジームの社会を特徴づけていた階級制への感覚と対照をなすものとして立ち現れる。

(4)文人共和国は多宗派性を特徴とし,この点においても当時の現実の国家とは異なる特徴を示している。宗教改革によって中世の「キリスト教的共和国」の一体性が破壊された時にも,文人共和国は確固として揺るがなかった。各国が程度の差はあれ単一宗派的であることを求め,寛容はそれを実践する人々にとっては次善の策に過ぎなかったという現実の状況のなかで,カトリックおよびプロテスタントといった多様な宗派に属する人々を結集している文人共和国は,この点においても独創的な存在であった。

(5)文人共和国においては,自由ということに絶対的な価値が認められる。自由によって完全に支配される国家という理念が,その根幹をなしている。この点においても文人共和国は,絶対主義的であれ寡頭政治的であれ権威に関してはそれを支持していた当時の現実の国家とは非常に対照的である。

(6)文人共和国は「知的共同体」「精神の共同体」である。それは理性の庇護のもとに置かれ,真の知と学識に奉仕し,それらを教授,擁護し,かつ子孫に伝達するという目的を追い求める。また人類共通の救済という,より高次の理想を目指すものであり,こうした究極目的はあらゆる個別的利害,あらゆる独我論を断罪するものであった。この目的を理想として,有益であると認められた知の伝達が推し進められていったのである。

[活動の諸相]

文人共和国の成立の背景として,当時における印刷術の発展と書物の刊行,宗教改革によるキリスト教世界の分裂の危機などをあげることができる。こうした要因は,教会や大学といった知の伝統的な拠り所を越えた文人共和国の理念を支えることとなった。アカデミーや大学といった組織も,確かに知識の増強,保護,伝達という,文人共和国と類似の機能を持ってはいるが,対比的には,前者らは「個別的組合」,後者は「普遍的組合」としてとらえられた。また,学者たちの知の交換の手段として,文通も重要な位置を占めていた。文人共和国の基礎が築かれたのは,エラスムスを筆頭とする偉大な人文主義者たちの時代であり,1550年から1750年頃がその黄金時代としてとらえられる。その理想は18世紀の間ずっと保たれてきたが,18世紀末以降,とくに文人たちが要求した政治的役割の影響のもとで大きな変容を蒙り,文人共和国の理念は衰退していくこととなった。

[文人共和国の意義]

当時の現実的な文脈においてとらえるならば,文人共和国はいくつかの国家に分裂したヨーロッパにおいて,また国境よりもさらに閉鎖的な宗教的境界によって細分化された「キリスト教的世界」において,知の集大成が日々破壊され,ますます専門化が進行する世界において,過ぎ去った過去に対するノスタルジアを表明したものであるという側面も見いだされ得る。しかしこのノスタルジアによって後ろ向きに歩くよりもむしろ,壮大で一体的な知的建造物を構築したいという強い願望を表明するものであった。この意味では文人共和国は,究極的には観念と事実,ユートピアと現実との間における避けられない緊張の場として立ち現れてくるのであり,そこに現実を超えた理想としての文人共和国の意義が見いだされる。また歴史的に見れば,文人共和国は,その自由と独立の理想において,その批判的機能において,その普遍性への志向において,近現代における「知識人」の出現に大きな先駆的影響を与えるものであるという意義も認めることができる。
著者: 白鳥義彦

参考文献: Hans Bots, Françoise Waquet, La République des lettres, Belin, De Boeck, 1997(H. ボーツ,F. ヴァケ著,池端次郎,田村滋男訳『学問の共和国』知泉書館,2015).

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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