教養小説(読み)きょうようしょうせつ(英語表記)Bildungsroman[ドイツ]

精選版 日本国語大辞典 「教養小説」の意味・読み・例文・類語

きょうよう‐しょうせつ ケウヤウセウセツ【教養小説】

〘名〙 近代小説の一つ。主人公の性格、思想の発展や人間的成長などを描いた小説。ドイツの小説に大きな伝統があり、ゲーテ作「ウィルヘルムマイスター」が代表的。日本では山本有三の「路傍の石」など。
※学生と読書(1938)〈河合栄治郎編〉読書の回顧〈高橋健二〉三「ドイツには教養小説〈略〉、或は成長小説〈略〉が非常に多く」

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デジタル大辞泉 「教養小説」の意味・読み・例文・類語

きょうよう‐しょうせつ〔ケウヤウセウセツ〕【教養小説】

伝記の形式をとりながら、主人公の人間形成の過程を描き、人間的価値を肯定する小説。ドイツに主流があり、ゲーテの「ウィルヘルム=マイスター」、ケラーの「緑のハインリヒ」、フランスではロマン=ロランの「ジャン=クリストフ」などが代表作。ビルドゥングスロマン

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改訂新版 世界大百科事典 「教養小説」の意味・わかりやすい解説

教養小説 (きょうようしょうせつ)
Bildungsroman[ドイツ]

主人公が幼年期の幸福な眠りからしだいしだいに自我に目覚め,友情や恋愛を経験し,社会の現実と闘って傷つきながら,自己形成をしていく過程を描いた長編小説。教養Bildungという語は,形成するbildenという動詞の名詞化であり,自己形成を意味する。したがって教養とは単に知識や技術を身につけることではなく,また既成の社会秩序や規範を習得することでもなく,みずからを人間としてあるべき姿に形成することである。教養小説という用語が一般化したのは,ドイツの哲学者ディルタイが,その著《シュライエルマハーの生涯》(1870),および《体験と文学》(1905)においてこの語を用いてからである。彼は,教養小説が誕生したのは,フランス革命に共感をよせる人々が,特にルソーの《エミール》(1762)の影響のもとに,従来の身分制の枠をこえた自由な人間のあり方を探究しはじめたからであるという。だが,教養小説の生れ故郷であるドイツでは,フランス革命に匹敵する市民革命はついにおこらなかったし,個人の自由な自己形成を抑圧するような旧体制的要素がまだまだ残っていた。教養小説は,それがすぐれたものであればあるほど,こうした現実を作中に背負いこむことになり,その結果,主人公の自己形成は非常に困難な課題として描かれる。ゲーテの《ウィルヘルム・マイスター》(〈修業時代〉1796,〈遍歴時代〉1829)は教養小説の典型だとされているが,〈修業時代〉において主人公ウィルヘルムを自己形成へと導く〈塔の結社〉の人々は,〈遍歴時代〉の結末においては,理想の共同体を実現するために,ヨーロッパを離れて新世界(アメリカ)へ旅立つ。また,ヘルダーリンの《ヒュペーリオン》(1797,99)の主人公は,自由な個人の存在を可能にする理想の国家の実現を目ざしてギリシア独立戦争に参加しながら,戦争の現実に絶望して隠者となり,自然の美しさのなかにわずかな慰めを見いだす。また,ノバーリスの《ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン》(1802,邦訳名《青い花》)は〈期待〉と〈実現〉の二つの部分からなるが,〈実現〉は未完のままで終わっている。これらの教養小説は,自己形成が既存の社会のなかでは不可能であることをその結末において示していることになるが,それだけでなく,《ウィルヘルム・マイスター》の〈遍歴時代〉や《ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン》の〈クリングスオール・メルヘン〉の場合には,その構成がきわめて複雑にならざるをえなかったことが,主人公の自己形成の可能性を追求することの困難を告白しており,また《ヒュペーリオン》にはドイツの社会の現実に対する呪詛が書きこまれている。もちろん上記の作品以外にも,ジャン・パウルトーマス・マンをはじめとして,教養小説の例は多い。だがいずれにせよ,教養小説の意味は,自己形成の範例を呈示することにあるよりも,むしろ自己形成の困難そのものを形象化することによって,当該の社会に固有の矛盾のあり方を証言することにあるように思われる。自己形成の範例を示すことに急で,これを妨げる社会の現実を十分に認識しない教養小説は,矛盾に満ちた既存の社会においても自己形成は可能であるという筋の展開によって,ナチス時代の多くの作品にそうした例が見られるように,安易な現状肯定に陥る危険がある。
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百科事典マイペディア 「教養小説」の意味・わかりやすい解説

教養小説【きょうようしょうせつ】

Bildungsroman(ドイツ語)の訳語。教養Bildungは〈自己形成〉の意。ある人間の成長,遍歴を,主として人格形成の角度から描き出した小説。19世紀初頭ドイツに興り,ドイツ文学の伝統的ジャンルとなった。古代ギリシア礼賛の傾向と啓蒙思想の説く進歩の観念のもとで,作家たちが人格の文化的形成を理想としたもの。ゲーテの《ウィルヘルム・マイスター》をその典型とし,グリンメルスハウゼンの《ジンプリチシムスの冒険》,ケラーの《緑のハインリヒ》,T.マンの《魔の山》などの作品があり,中世の《パルチファル》なども含めて考えられる。
→関連項目ウィーラントウォルフラム(エッシェンバハの)ゲーテ次郎物語芹沢光治良ハントケ路傍の石

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「教養小説」の意味・わかりやすい解説

教養小説
きょうようしょうせつ
Bildungsroman ドイツ語

本来はドイツ語で、主人公の内的教養形成の過程を描く小説のこと。一般にこの語の創始者は哲学者W・ディルタイとされている。19世紀末、彼はゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの一派をなす小説群を教養小説と名づけたい」と提案、その理由を「これらの本では、純粋に人間的な教養、個人のさまざまの段階における形式のみが問題とされている」と述べている。彼によれば、かかる文学傾向は「当時のドイツ人の精神の内面文化への志向」から生じたものであった。しかし、実際にはこの語の発生はもっと古くて、その当初は、18世紀啓蒙(けいもう)主義の哲学的、宗教的教養形成理念に基づく、人間の魂の漸進的な発展物語をさしていたのである。その場合に、従前の叙事詩が外的事件の描写を目的とするのに反して、小説の真髄は人間の内部の動き、生成発展、完成を描くところにあるとされた。「人格の調和的完成」を目ざすゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』は、その代表的作品であるが、それ以前にはウィーラントの『アガトン』にその草分けの姿が認められる。

 ところが、ディルタイの提言後、一般にドイツ精神の内面性が強調されるにつれて、教養小説は典型的にドイツ的な小説形態を意味するものと考えられるようになり、はるか中世や近世にまでさかのぼってその前身が求められたが、これは正しいとはいいがたい。ゲーテ以後、19世紀の数多くの小説群がこの系譜に属し、20世紀に入っては、トーマス・マンの『魔の山』、ヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』などがその偉大な子孫である。このように、元来はドイツ文学理論の枠内で発生し、したがってドイツ文学に限って有効な語であろうが、いまでは普遍化され、小説類型を示す語として、広く世界各国の同じような性質の作品に適用されている。なお、これに近い用語に、同じくドイツ語に由来する発展小説Entwicklungsromanがある。

[義則孝夫]

『登張正実著『ドイツ教養小説の成立』(1964・弘文堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「教養小説」の意味・わかりやすい解説

教養小説
きょうようしょうせつ
Bildungsroman

主人公がその時代環境のなかで種々の体験を重ねながら,人間としての調和的自己形成を目指して成長発展していく過程に力点をおいた小説。特にドイツ文学に顕著な傾向で,長編小説の主流をなす。源泉は遠く中世にまでさかのぼり,ウォルフラム・フォン・エシェンバハの叙事詩『パルツィファル』 (1200~10頃) をはじめ,グリンメルスハウゼンの『ジンプリチシムス』 (1669) ,ウィーラントの『アーガトン物語』 (1766~67) などがある。このジャンルの規準になったのは,ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』 (2部,95~1829) で,ケラー『緑のハインリヒ』 (初稿 53~55) ,シュティフター『晩夏』 (57) ,T.マン『魔の山』 (1924) ,ヘッセ『ガラス玉演戯』 (43) などが代表的な作品。

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知恵蔵 「教養小説」の解説

教養小説

ドイツで成立した、若者である主人公が、様々な体験を積み重ねながら成長し、自己形成し、人格を発展させていく過程を描く、小説の1ジャンル。ヨハン・ヴォルフガンク・ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの徒弟時代』(1795年)、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(1821〜29年)をその源流とする。代表的な教養小説には、トマス・マン『トニオ・クレーゲル』(1903年)、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(1904〜12年)、ジェームズ・ジョイス『若き日の芸術家の肖像』(1916年)、ヘルマン・ヘッセ『デミアン』(1919年)などがある。日本の教養小説には、下村湖人『次郎物語』(1941〜54年)、山本有三『真実一路』(1936年)、『路傍の石』(1941年)など、大正教養主義の理想にその基礎を置くものが多い。現代日本で教養小説という形式は、宗教家の自伝の類において最も有効に機能している。なお、『ジャン・クリストフ』や『若き日の芸術家の肖像』のような、芸術家の自己実現への道をたどった教養小説を、特に芸術家小説(K(u)nstlerroman)と呼ぶ。西欧では主流を占めるとさえいえるこのタイプの教養小説は、なぜか日本では、極めて少ない。

(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)

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