政島検校(読み)まさじまけんぎょう

改訂新版 世界大百科事典 「政島検校」の意味・わかりやすい解説

政島検校 (まさじまけんぎょう)
生没年:?-1780(安永9)

盲人音楽家。都名(いちな)は実一。1763年(宝暦13)浅田検校本一のもとで検校に登官。これより前,1759年に藤永検校城和より野川流三味線本手の伝授を受けている。71年(明和8),同門の亀島検校名一,菊永検校太一と,三味線組歌を整理,その伝授書を編集。地歌の端歌・長歌の作曲も若干行っているが,品川検校から胡弓伝承を受け,とくに大坂島之内で胡弓の名手といわれ,《八千代獅子》を尺八曲から胡弓曲へ移したことでも知られる。《鶴の巣籠》を得意とし,子の弥兵衛もこれをよくした。そのほか胡弓曲を整理して,その本曲(本手組)を制定井上文庄森岡正甫と伝承されたものは,森岡が95年(寛政7)江戸に出て,政島流胡弓として広められ,1811年(文化8)には《掃弓雅吟集》という胡弓本曲詞章集も刊行された。
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朝日日本歴史人物事典 「政島検校」の解説

政島検校

没年:安永9(1780)
生年:生年不詳
江戸中期の大坂の地歌三弦家,胡弓奏者。名を実一。藤永検校に師事し,宝暦9(1759)年に野川流三弦の伝授を受けた。13年検校になる。明和8(1771)年,同門の亀島検校,菊永検校と野川流の伝授書を整理した。「寿」「ささやき竹」「そらいびき」「泊り舟」「我が身」などを作曲。胡弓の師は品川検校。胡弓独奏曲の本手組をまとめ,政島流胡弓を創始した。聴く人の目を潤ませる名演といわれ,息子の弥兵衛も胡弓を得意とした。「八千代獅子」を尺八から胡弓曲に編曲。政島流胡弓の伝承は孫弟子の森岡正甫により江戸に広められ,『掃弓雅吟集』(1811)に記された。

(野川美穂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「政島検校」の意味・わかりやすい解説

政島検校
まさじまけんぎょう

[生]?
[没]安永9(1780).大坂
江戸時代中期の三弦,胡弓演奏家,作曲家。目が不自由だった。都名 (いちな) は実一。藤永検校より宝暦9 (1759) 年に野川流三弦を伝授され,明和8 (71) 年には同門の亀島,菊永検校と三味線組歌を整理し,その伝授書を編集。作品には端歌『寿』 (菊永と共作) ,『ささやき竹』,長歌『我が身』などがある。さらに,大坂島の内で胡弓の名人といわれ,『巣籠』を得意とし,『八千代獅子』を尺八から胡弓に移曲したほか,胡弓独奏曲を整理し本手組に編集,政島流を生むにいたったが,現在では絶えている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「政島検校」の解説

政島検校 まさじまけんぎょう

?-1780 江戸時代中期の三味線・胡弓(こきゅう)奏者。
藤永検校に野川流三味線をまなび,宝暦13年検校となる。のち品川検校に胡弓をまなび,大坂で名手といわれ,政島流胡弓を創始した。安永9年死去。名は実一(じついち)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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