放射線化学反応(読み)ほうしゃせんかがくはんのう(英語表記)radiation-chemical reaction

改訂新版 世界大百科事典 「放射線化学反応」の意味・わかりやすい解説

放射線化学反応 (ほうしゃせんかがくはんのう)
radiation-chemical reaction

物質中に荷電粒子や電磁波放射線が照射されると,放射線は主として物質中の電子と相互作用してそのエネルギーを与える。その結果,エネルギーを得た物質中の電子がたたき出されるイオン化と,高いエネルギー準位に上げられる電子励起が起こる。イオン化によって生じたイオンが一部再結合し,また励起状態が一部化学結合解離をひき起こしたりする過程を経て,イオン,ラジカル,励起状態が生成される。これらの化学種はいずれも反応性に富んでおり,中間活性種または短寿命活性種と呼ばれる。中間活性種は相互の間,あるいは他の分子,原子と反応し,最終的には安定な生成物を与える。この中間活性種の生成に至る過程を初期過程,あるいは一次過程と呼ぶことがある。放射線によって以上のさまざまな形で誘起される反応が放射線化学反応である。これと類似の過程に,光の照射によって誘起される光化学反応がある。光照射の場合にはイオン化が起こることはまれであって,光の波長によって定まる特定の状態への選択的電子励起が起こるが,放射線ではそのような選択性はない。

 放射線による中間活性種の生成は,気相,液相,固相いずれにおいても,低温および高温の区別なく起こる。-200℃以下のような低温固相で生成した活性種は次の反応へ進むことなく,固相媒体中に凍結される場合が多いので,光吸収スペクトルの測定や電子スピン共鳴法などを用いて,中間活性種の研究を行うことができる。この手法は剛性溶媒法と呼ばれ,放射線化学の分野で常用される研究手法の一つである。これと並んでよく使われる研究法にパルスラジオリシスパルス放射線分解)法がある。これは加速器からきわめて短い時間に強力な荷電粒子(通常は電子線)を照射し,この間に生成する反応性の高い活性種の挙動を,光の吸収や発光などによって追跡する手法である。これによって,数多くの短寿命活性種が同定され,その反応速度定数が測定されている。

放射線によって誘起される反応は,系に吸収される放射線のエネルギーによって決まる。放射線化学反応における反応生成物の収率を表すのにG値がよく用いられる。これは系に吸収されるエネルギーをeV単位で表して100eV当り何個の化学種が生成,あるいは消滅するかを表すものである。例えば,水に放射線を照射して,吸収エネルギー100eV当り1.5個の水素分子を生成したとすると,水素生成のG値は1.5であるという。

放射線と物質中の電子との相互作用は,γ線や高エネルギー電子線など,いわゆるLET(エルイーテイー)の小さな放射線の場合には,放射線の飛程に沿って離散的に起こる。そのためイオンや励起状態など活性種が局所的に濃度高く生ずる,ほぼ球形の領域が離散的に形成され,これはスパー(またはスプール)と呼ばれる。活性種は一部スパー内で相互に反応(スパー内反応と呼ばれる)するが,反応を免れたものはスパーから拡散して系全体での均一な反応を行う。他方,α粒子のようなLETの大きい放射線の場合には,放射線の進路に沿ってスパーが相互に連なった形となり,円筒形スパーまたはトラックと呼ばれる。このように放射線化学反応の初期過程では活性種が不均一に生成し,その分布が放射線の種類によって多少異なっている。このような放射線の線質の相違が化学反応に及ぼす効果をLET効果と呼んでいる。

放射線化学反応の一つの特徴は,放射線照射によって励起のみでなく,イオン化が起こりイオンを生成することにある。放射線化学の分野においてきわめて重要な反応に,イオン分子反応と呼ばれる一群の反応がある。これは気相でイオンと中性分子の間に起こる反応で,一般に活性化エネルギーが小さく,きわめて速い反応である。二,三の例を以下に示す。

 CH4⁺+CH4─→CH5⁺+CH3

 CH3⁺+CH4─→C2H5⁺+H2

 R1⁺+R2H─→R1H+R2

ただし,R1,R2アルキル基を表す。

 イオン分子反応は水素の引抜きやハイドライドイオンの移動など,いくつかの定まった形式に分類される。

放射線化学反応の研究の過程で発見された重要な中間活性種に水和電子がある。これは水および水溶液の放射線化学反応において重要な働きをなすもので,イオン化によって水分子からたたき出された電子が周囲の水分子との衝突を繰り返してエネルギーを失い,その運動エネルギーが熱エネルギー程度になったとき,周囲の水分子の双極子を配向させ,溶媒和が進んで比較的安定な〈水和層〉を形成する状態をいう。水分子への照射によってこのような状態が形成される可能性についてはすでに1950年ころから指摘されていたが,その存在が確証されたのは1962年,ハートE.J.HartとボーグJ.W.Boagがパルスラジオリシスによって水和電子の吸収スペクトルの測定に成功してからである。その後,アルコールなど極性の強い溶媒中でも同様の活性種の存在が確認され,これは溶媒和電子と呼ばれる。水和電子は720μmをピークとし,可視から赤外にかけて広い波長の光を吸収し,きわめて反応性に富み,強い還元剤として働く。水和電子は一般に溶質との反応によって短時間のうちに消滅するが,純水中では比較的寿命が長く,25μs程度の半減期をもつ。

高分子化合物に放射線を照射したとき誘起される反応も,本質的には低分子化合物の場合と変わるものではないが,反応結果の及ぼす効果が低分子化合物の場合と多少異なる。高分子の放射線化学反応においては,高分子の分子量変化がその物性変化と関連して特に重要である。高分子を放射線照射したとき,分子量の変化をひき起こす反応は橋架けと高分子鎖の切断である。橋架けは二つの高分子鎖の間に化学結合を生ずる反応であり,これにより分子量は増大する(橋架け)。切断は文字通り主鎖を形成する原子を結びつける化学結合が放射線によって切れ,分子量が低下する反応であり,崩壊とも呼ばれる。放射線照射によって切断と橋架けのどちらが起こるかは,固体か液体かの違い,酸素の有無など照射条件に大きく左右されるが,真空中固体に照射した場合には,高分子の化学構造によって決まる。その条件下で橋架けは常に切断を伴って起こる。ポリエチレンやポリプロピレン,ポリ酢酸ビニルなど高分子の主鎖構造を下式(a)で表すことができるタイプのものでは橋架けが切断に優先し,橋架け型と呼ばれる。ゴムやナイロンもこの型に属する。ポリイソブチレンやポリメタクリル酸メチルなど下式(b)で表せるタイプのものは,切断のみが起こり,分解型あるいは崩壊型と呼ぶ。セルロースやポリテトラフルオロエチレンは,構造としてはこのタイプに属さないが,典型的な分解型である。



 橋架け型高分子では,放射線照射によって強度や耐熱性が増すので,高分子材料の改質にこの過程が利用される。他方,分解型高分子では照射によって劣化が進み,やがて材料として使用に耐えない状態となってしまう。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の放射線化学反応の言及

【放射線分解】より

…これらの化学種は反応性に富み,物質系の化学結合の切断や組換えをひき起こし,化学反応を誘起する。放射線照射後,活性種の生成から化学反応に至る一連の過程において,化学結合の切断や組換えなどに至る過程を,化合物の分解という面を強調して放射線分解と呼ぶが,放射線分解の結果ひき起こされる放射線化学反応との区分を明確にすることは困難であり,放射線化学反応を含めた広い意味で使われることも多い。
[水の放射線分解]
 種々の化合物について放射線分解の研究が行われているが,最も理解が進んでいるのは水に関してである。…

※「放射線化学反応」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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