播磨国絵図(読み)はりまのくにえず

日本歴史地名大系 「播磨国絵図」の解説

播磨国絵図(慶長国絵図)
はりまのくにえず

二二四×四〇五センチ

成立 慶長一六―一七年頃

原図 天理大学附属天理図書館

解説 肉筆彩色画。慶長一〇年姫路藩主池田氏が幕命によって作製呈上した国絵図は現存しないが、本絵図はその数年後に池田氏が独自に作った国絵図である。村名、姫路の新城下町、そこへ引込まれた山陽道計画倒れとなった姫路―飾磨運河(三左衛門堀)、建設中の高砂の城と町場、村一つない未開の印南野、明石船上城ほかの古城一里塚、川の流路など慶長期固有の状況が描かれている。村高不記載。昭和五四年「慶長播磨国絵図」として刊行

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報