播磨国一揆(読み)はりまのくにいっき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「播磨国一揆」の意味・わかりやすい解説

播磨国一揆
はりまのくにいっき

1428年(正長1)から翌年にかけて起こった播磨国(兵庫県)の土(つち)一揆将軍の代替りという幕府権力の動揺など政治的条件が重なるなかで、28年近江坂本(おうみさかもと)(滋賀県大津市)に蜂起(ほうき)した土一揆は、徳政(とくせい)(債務破棄)を要求して京都の土倉(どそう)を襲撃、これが奈良、播磨へと波及していった。播磨国の土一揆は、土民が在地徳政とよばれる私(し)徳政を実現し、諸荘園(しょうえん)の代官に攻撃を加え、守護の軍兵をはじめ国中の侍をことごとく追い落とすという事態に発展した。このため京都にあった守護の赤松満祐(あかまつみつすけ)は播磨の守護代浦上(うらがみ)氏らに命じて鎮圧させた。しかし、土一揆は守護不入地の矢野(やの)荘(相生(あいおい)市)をはじめ多くの寺社領荘園を拠点に郡規模での広域的な抵抗を試み、翌年に及んでもなおいくつかの荘園で蜂起が続いた。

[太田順三]

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旺文社日本史事典 三訂版 「播磨国一揆」の解説

播磨国一揆
はりまのくにいっき

室町中期,播磨におこった国一揆
1429年国人や農民たちが,「国中侍あらしむべからず」と称し,守護赤松方の武士の支配排除を目的として蜂起したという。『薩戒記』にその記事がみえる。

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