損田法(読み)そんでんほう

改訂新版 世界大百科事典 「損田法」の意味・わかりやすい解説

損田法 (そんでんほう)

日本古代,律令国家の損田に対する租税免除措置等の処分法。損田とは耕作可能な堪佃田(かんでんでん)のうち,播種後に災害などで不熟田化した田地をいう。それら諸田と収租の明細は,毎年国司により租帳に記載され,貢調使に付して中央に報告されたが,その際,損田の実状把握とそれに対する租税免除をいかにするかが不堪佃田の処分とともにもっとも重要な問題であった。(1)戸別損田の損免法 賦役令水旱条には,律令田制の基幹である口分田について,戸別の田積を10分とし,損5分以上戸は租,損7分以上戸は租・調,損8分以上戸は租・調・庸・雑徭(課役)をそれぞれ免除(見不輸)とし,国司はその実状を検し,詳細に記録して太政官に上申することが定められている。損4分以下戸は,令条に規定がないが,実際には損分の租を免除(半輸)することが国司の処分にゆだねられていた。したがって被災国の口分田収納田租は,全得田戸の田積と損4分以下戸の得田積からの租ということになる。(2)損戸処分法 704年(慶雲1),706年には,被害不熟で〈調庸を免除すべき者〉(損7分以上の戸)について,49戸以下は国司処分(例損),50戸以上は太政官処分,300戸以上は奏聞(以上異損),その太政官への言上は9月30日以前とする処分法が制せられた。その国司処分については802年(延暦21)に,国の大小により,大国49戸以下,上国39戸以下,中国29戸以下,下国19戸以下とする処分戸数の差が設けられた。さらに成立時期は不明であるが,50戸以上の損田が一所に集中している場合は専使により中央に急行馳駅)言上すべきものとされている(延喜民部式)。(3)収租定率法 毎年一定の実収を確保するために,724年(神亀1)国内通計して7割以上の租を確実に収納,その余を国司の自由処分にゆだねるとする不三得七法が定められた。一種の国司による田租請負制の成立ともいえる。この法は,797年(延暦16)租を人別田積の2割免除,8割収納とする二免八収法に,800年には3割免除の三免七収法に,802年には人別から戸別の田積の2割免除とする二免八収法に改制され,国司の不正抑制と田租の増徴がはかられたが,かえって新たな矛盾が生まれ,806年(大同1),816年(弘仁7)には旧に復し,不三得七法が実施されることになった。以後,その〈不三〉は〈例損〉〈例不参〉と称し,通常年(例損年)の勘租において,国司による3割控除処分として認められた。一方それを超えた場合は,〈異損〉として,あらかじめ太政官に言上,10月30日以前にその坪付帳を進上,時として検損使が派遣され,処分が決定された。だが実際には国司の不実(虚偽)言上や過期言上は絶えず,833年(天長10)課丁数の多い戸を損戸として申告することに対し,損戸・得戸の課丁数を同率とすべきこと,また926年(延長4)調庸免除にかかわる損7分以上の戸を多く申告することに対し,損戸数(損5分以上の異損)を三分し,損7分以上の戸と損5分以上(5,6分)の戸を1:2とすべきこと(異損戸率法)などが令せられた。これらは租・調・庸の減少化を抑止しようとする政策であったが,9~10世紀にかけて進行するその減少化の流れは,それらによって止められるものではなかった。
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