揖宿郡(読み)いぶすきぐん

日本歴史地名大系 「揖宿郡」の解説

揖宿郡
いぶすきぐん

面積:二四二・〇九平方キロ
喜入きいれ町・頴娃えい町・開聞かいもん町・山川やまがわ

薩摩半島の南東部に位置し、西の川辺郡知覧ちらん町と東の指宿いぶすき市との間に四町が南北に連なる。喜入町は鹿児島湾に、残りの三町は東シナ海に面している。喜入町・指宿市にかけては西背後に南薩なんさつ山地が連なり、鹿児島湾に向かっての傾斜地が多い。頴娃町は南に開けた広大な別府べつぷ台地にある。海岸線は湾曲した砂浜に恵まれているが、諸所で山がせり出している。半島南部には各種の火山があり、地理学上貴重とされている。なかでも火山の開聞岳たけ山、マール山川港・うなぎ池・かがみ池・水無みずなし池が有名で、旧火山の大野おおの岳は典型的なコニーデ型で美しく、千貫平せんがんひらも旧火山の集まりである。

郡名の訓は「和名抄」東急本国郡部・同書元和古活字本に「以夫須伎」、同書名博本および「拾芥抄」に「イフスキ」とある。郡名は指宿郡と記されるほか、中世においては承久三年(一二二一)八月二一日の薩摩国庁下文(旧記雑録)、永享七年(一四三五)一二月五日の島津忠国書下(禰寝文書)、永正九年(一五一二)とみられる閏四月六日の島津忠治書状(同文書)などに「指宿院」の呼称がみえ、現指宿市十町の光明禅じつちようのこうみようぜん寺にある方柱板碑には天文一二年(一五四三)銘とともに「湯豊宿郡」とみえる。古代の郡域は現在の指宿市および山川町東部に比定され、中世も同様であったと考えられる。近世になると、郡域は池田いけだ地区を除く指宿市域と山川町の福元ふくもと成川なりかわ地区などとなり、後期には山川町利永としなが開聞町上野うえのも揖宿郡に所属していた。この頃の郡域は北は給黎きいれ郡、西は頴娃郡、南・東・北東は海に面していた。

〔古代〕

天平八年(七三六)の薩摩国正税帳(正倉院文書)にみえる隼人はやと十一郡の一つ。「和名抄」では揖宿郷のみで、一郡一郷の郡であった。指宿市十二町の橋牟礼川じゆうにちようのはしむれがわ遺跡や同市十町の敷領しきりよう遺跡などの調査によって、貞観一六年(八七四)開聞岳噴火(「三代実録」同年七月二日・二九日条)の際の降灰や土石流による二次災害の様子がわかってきている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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