抗日戦争(読み)こうにちせんそう(英語表記)Kàng rì zhàn zhēng

改訂新版 世界大百科事典 「抗日戦争」の意味・わかりやすい解説

抗日戦争 (こうにちせんそう)
Kàng rì zhàn zhēng

1937-45年の日中戦争を中国ではこう呼ぶ。たんなる2国間の戦争としてではなく,民族革命戦争として中国革命の過程に位置づけられている。

 1931年,日本の侵略戦争満州事変)が開始されると中国共産党倒蔣抗日の民族革命戦争の遂行を呼号し,東北で抗日の遊撃戦を組織したのをはじめ,33年にはチャハルの抗日同盟軍に参画するなど具体的行動をとった。江西根拠地の放棄と長征も北上抗日を名分としておこなわれ,陝西北部根拠地到着後はさらに河北,チャハルへの進出をめざした。37年7月7日,蘆溝橋事件(七・七事変)が勃発すると,中共はただちに抗戦宣言を発して国民に武力抵抗を呼びかけ,国民政府戦火が上海におよんだ8月14日,抗日自衛宣言を発し,挙国抗戦の体制がととのえられた。8月下旬,工農紅軍の主力3万は国民革命軍第八路軍(八路軍と略称され,のちに第十八集団軍とも称した)に改編されて華北の抗日の前線に出撃した。9月には国共合作が正式に成立,10月,南方各省の紅軍遊撃隊も集中して新編第四軍(新四軍と略称される)を編成して華中の前線に出た。両軍は遊撃戦を主として運動戦と結合する戦術をとり,進撃する日本軍の後方に入って抗日根拠地を建設した。

 当初,中共党内には深刻な路線の対立があった。コミンテルンを背景にもつ陳紹禹(王明)らは,国民党の抗日の積極性とソ連,イギリス,アメリカの国際的支援の効果を過大に評価し,日本の軍事的経済的実力を過小に評価し,戦争は短期間で勝利するとみた(速勝論)。したがって国民政府の正規軍が抗日の主力であり,中共の軍隊は蔣介石の統一指揮に服すべきだとして独自の遊撃戦略に反対した。毛沢東らは抗日を反帝反封建の民族革命の一環に位置づけ,国民政府の反動的本質からして抗日の真の主力は人民を動員し,組織し,武装させて戦う八路軍・新四軍と中共の指導する遊撃戦争であると主張し,彼我の力関係から長期かつ困難な戦争になると見通した(持久戦論)。38年10月,日本軍は武漢,広州を占領,戦線は膠着状態となった。王明路線は事実の上で破産し,中共は毛沢東の一元的指導のもとに,統一戦線における独立自主の原則により日本軍後方の遊撃戦争を発展させ,根拠地を拡大し,農村の民主的改革(減租減息など)を進めた。

 戦争の長期化と中共勢力の発展によって国民党内に動揺が生じた。汪兆銘らは日本軍に投じて傀儡かいらい)政権を樹立,傀儡軍を編成して抗日根拠地を攻撃し,蔣介石らも〈消極抗日,積極反共〉の方針をもって中共の活動を弾圧し,八路軍・新四軍に武力攻撃をかけることすらした。中共は40年,華北で〈百団大戦〉を発動して国民党の対日妥協をけん制したが,日本軍に目標を露呈して集中的継続的な攻撃(治安作戦)を受けることになり,国民政府軍の圧迫とあいまって,41年,42年と抗日根拠地と遊撃戦争は重大な危機に逢着した。中共は毛沢東の指導のもとに大生産運動を展開し,〈精兵簡政〉を徹底させて経済的困難を乗りきり,〈三・三制〉の原則で根拠地の政権を全人民的な基盤にすえ,整風運動を通じて党・軍・民の団結を強め,大衆路線の作風を確立して政治的・軍事的困難を解決し,43年以降,抗日根拠地をふたたび発展させた。

 44年から八路軍・新四軍は局部的に反攻に転じ,45年8月9日,ソ連が日本に宣戦し,東北に出兵するや,中共は全国的規模の反攻を呼びかけるとともに,東北に進軍して解放区を拡大した。日本軍の降伏で抗日戦争の勝利が確定したとき,中共指導下の抗日軍隊は120万人,民兵は220万人,東北から海南島におよぶ全国19の抗日根拠地(解放区)の人口は1億3000万にのぼった。太平洋戦争勃発後,形勢を観望し,アメリカの軍事援助を得ながら兵力の温存に努めた国民政府が内部腐食を進行させたのに対し,中国共産党が苦闘のなかで革命勢力を発展させたことは,中国のその後の運命を決定づけるものとなった。
日中戦争
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百科事典マイペディア 「抗日戦争」の意味・わかりやすい解説

抗日戦争【こうにちせんそう】

日中戦争(1937年―1945年)の中国側の呼称。中国では,民族革命戦争として中国革命の過程に位置づけられる。1931年の満州事変に対応して中国共産党は〈倒蒋抗日〉の遊撃戦(ゲリラ戦)を東北で遂行し,1934年―1936年には長征を行って華中・華南から陜西省北部に移動し,延安に根拠地を築くが,その途上1935年には〈八・一宣言〉を発して〈抗日民族統一戦線〉を提唱した。1937年盧溝橋事件により〈日中戦争〉の段階に入ると,中国国民党も含めて挙国抗日に向かい,同年9月の第2次国共合作の正式成立に伴い,抗日民族統一戦線として結集した。華北の八路軍や華中の新四軍は遊撃戦により日本軍の後方に抗日根拠地を建設した。その間,抗日戦における国民党の役割を過大に評価するコミンテルンの路線(陳紹禹ら)との対立があったが,毛沢東らの持久戦論による指導に一元化され,農村の改革(減租減息など)を進めつつ,〈三・三制〉の原則による辺区(解放区)の基盤確立が進められた。この間に1940年汪兆銘らの傀儡(かいらい)政権樹立もあったが,1945年の抗日戦勝利の時期に解放区人口は1億3000万人に及んだ。
→関連項目スティルウェル第2次世界大戦中華人民共和国ベチューン

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