手鞠(読み)テマリ

デジタル大辞泉 「手鞠」の意味・読み・例文・類語

て‐まり【手×鞠/手×毬】

まるめた綿をしんにし、その上を色糸で巻いたまり。また、それを手でつく遊び。今は、表面彩色を施したゴム製のものが多い。 新年》「焼跡に遺る三和土や―つく/草田男
手鞠花てまりばな」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「手鞠」の意味・わかりやすい解説

手鞠 (てまり)

糸を巻いたまり,またはそれを用いたまりつき,まり遊びのこと。日本で古くから行われていた蹴鞠(けまり)から派生したもので,手でまりをつき上げていたと思われる。曲芸品玉(しなだま)も上に投げる芸である。中世の《吾妻鏡》には正月2日に手鞠の会が開かれ公卿貴族が参加したと記され,手まりは屋外の成人男子の遊びだったことがわかるが,正確な起源は不明である。賀茂真淵は《冠辞考》で蹴鞠以前に手まりがあったというが,本居宣長は《古事記伝》でこれを否定している。江戸時代になって綿糸を巻いてよくはずむまりがつくられ,婦人女児が屋内外で下について遊ぶようになったことが,貞享年間(1684-88)の《雍州府志》などで知られる。江戸中期以後とりわけ流行し,鞠場(まりば)と呼ばれる遊技場も出現した。江戸後期の《嬉遊笑覧》には,昔は立まりだったが今はひざまずいてするのが都会風だとある。手まりは手鞠,手毬と書かれ,糸まり,かがりまりともいい,ゼンマイの綿やおがくずを芯にして綿糸を堅く巻きつけたもので,芯に鈴や繭を入れて音が出るようにしたものもある。江戸後期の全盛期には表面を五彩絹糸で巻いた装飾的なものがつくられ,御殿まりと呼ばれた。その後,明治10年代からはゴムまりが普及し,まりつきも変化していった。遊び方には地方によっても時代によっても異なるが,大別すれば,ついた数を競う数とり,相手とやりとりするつき渡し,歌に合わせて所定一連の動作を行うものがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「手鞠」の意味・わかりやすい解説

手鞠
てまり

手玉遊びに用いる鞠、または歌にあわせてそれをつく鞠遊び。丸めた綿やハマグリの殻、ぜんまいいもがら、こんにゃく玉、山繭、砂、小鈴などを芯(しん)にして、その上を布に五色の絹糸や綿糸でかがったものを糸鞠(かがり鞠)といい、江戸時代から少女の遊び道具として発達した。芯にいろいろなものを入れたのは、鞠に弾力性をもたせるためで、なかにはかわいらしい音を出すようにくふうしたものもある。表面の綾糸(あやいと)の巻き方によって、ウメ、キク、ボタン、カエデなどさまざまな模様がある。

 鞠の歴史は古く、まず蹴鞠(けまり)(皮製)が古代中国の唐から奈良時代に渡来し、平安時代以後は京都の公卿(くぎょう)階級中心の遊びとして行われた。やがて足を用いるかわりに手を使って遊ぶ手鞠遊びが生まれたが、古くは手玉式に手鞠を高く投げ上げ、それを地面に落とさぬように受け止める遊びで、この曲芸を生業(なりわい)とする品玉遣(しなだまつか)いという旅の遊芸人も現れた。弾力性のある木綿(もめん)綿の普及につれて、床面について遊ぶ手鞠に変わり、少女の玩具(がんぐ)となった。正月に少女の玩具としてお年玉に贈答され、また図柄のめでたさから飾り物にも用いられた。最近では旧城下町などで観光用手芸品として復活し、室内アクセサリーなどにも応用されている。現在、青森県八戸(はちのへ)市のくけ鞠、山形県鶴岡市の御殿鞠、鹿児島市の金助鞠などが郷土玩具としてみられる。なお、糸鞠にかわってゴム製の鞠が登場、年中の遊びとなったのは明治以後である。

[斎藤良輔]


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動植物名よみかた辞典 普及版 「手鞠」の解説

手鞠 (テマリ)

植物。スイカズラ科の落葉低木,園芸植物。オオデマリの別称

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

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