日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
手島堵庵(てじまとあん)
てじまとあん
(1718―1786)
江戸中期の石門心学(せきもんしんがく)者。名は喬房(たかふさ)、信(まこと)。字(あざな)は応元(おうげん)、通称は近江屋源右衛門(おうみやげんえもん)、東郭(とうかく)先生。堵庵と号した。享保(きょうほう)3年5月13日京都に生まれる。石田梅岩(ばいがん)に学び、師の説を平易化し、信と正直を主徳として心の平安を獲得することを強調した。また五楽舎、修正舎、時習社、明倫舎などの心学講舎を各地に設立し、布教に成果をあげ、天明(てんめい)6年2月9日69歳で没。主著に『坐談(ざだん)随筆』(1771)『知心弁疑(ちしんべんぎ)』(1773)『前訓』(1773)『朝倉新話』(1780)などがある。門下から中沢道二(なかざわどうに)、脇坂義堂(わきさかぎどう)(?―1818)らが出た。
[今井 淳 2016年6月20日]
『『増補 手島堵庵全集』全1巻(1973・清文堂出版)』▽『白石正邦編『手島堵庵心学集』(岩波文庫)』
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