手余地(読み)てあまりち

精選版 日本国語大辞典 「手余地」の意味・読み・例文・類語

てあまり‐ち【手余地】

〘名〙 江戸時代手不足のため空閑地となっている田畑。農民離村または放棄で耕作されない田畑。
※財政経済史料‐八・官制・地方職制・雑・寛政元年(1789)六月奥州之内手余地有場所へ、無罪之無宿共差遣し致入百姓

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改訂新版 世界大百科事典 「手余地」の意味・わかりやすい解説

手余地 (てあまりち)

日本の近世期に,手不足のために耕作放棄された耕地をいう。初期には,その最大の原因領主苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)にあり,年貢諸役の負担に耐えかねた百姓逃散ちようさん),走り,潰れ(つぶれ)などで離村し,その跡に手余地が発生した。例えば1618年(元和4)春,会津藩(蒲生氏)領の栃窪村では年貢諸役の重圧に抗して村ぐるみで百姓が逃散し,これに対して藩は年貢諸役を免じて〈田地は作取(つくりとり),諸役之儀も申付間敷……未進をも用捨〉と譲歩したが百姓は帰村せず,同年10月には肝煎(きもいり)以下全員が村に不在という荒廃状態になった。畿内先進地農村でも,河内国古市郡古市村の1594年(文禄3)検地帳には,村高1114石余のうちに〈ぬしなし〉の田畑が106筆,6町2反余,64石余も含まれ,〈うせ人〉3人が記載され,走(はしり)百姓跡の荒廃ぶりが示されている。同地域の事情を伝える《河内屋可正旧記》によると〈天正年中より文禄・慶長の終迄は,豊臣公の御知行所なりしが,諸役の懸り物大分にて,田畑を多く持し者は還而難儀に及べり……樽肴を添えて,皆もらかしたる事実正也〉という状況にあり,貢租過重による走百姓の出現によって,上層百姓の手作(てづくり)地には手余地が発生した。

 手余地は近世の全期間を通して各地にみられる。とくに18世紀中ころ以降,商品経済の農村への浸透が年貢の重圧と相まって,中層以下の本百姓経営を解体させ,潰百姓,離村,出稼ぎなどによる耕地の荒廃,地主手作経営での手不足が慢性化し,災害,飢饉などを契機にして手余地が激増した。関東の農村では明和・安永期(1764-81)から江戸地回り経済と呼ばれる関東在地での農産物商品化の動きが一段と進行し,商品経済の農村浸透,上層農民の地主化・在郷(ざいごう)商人化がすすみ,これに対応して中層以下の潰百姓の増加,出稼・離村の激化が顕著になった。これは必然的に手余地=荒地の増加となり,領主財政窮迫の因となり,同時に博徒,無宿(むしゆく)者,都市細民を生み出して社会不安の一因になった。寛政改革ではこれへの対策が重要課題となり,水呑,小作人,奉公人などに農具代,夫食(ぶじき)を与えて手余地=荒地を開発させ,1790年(寛政2),91年,93年と続けて旧里帰農奨励令を公布し,帰村費や田畑購入費まで支給した。さらに93年,関東代官に長文の〈申諭〉を令達し,荒地起返(おこしかえし)の場所は元の租率に引き上げるように指示し,その意味を説明して,地主取分を制限して貧民一統を救済するものだとし,手余地の解消と本百姓経営の再建によって貢租収入の確保をねらった。畿内先進地農村でも中期以降,手余地が増加した。堺周辺の3ヵ村(北庄,中筋,舳松(へのまつ))では明和ころから手余地が増加し,1789年には3ヵ村合計3200石余(総村高8300石余の39%)に達した。畿内幕領ではこれへの対策が90年に実施され,それが関東へも適用されて前述の〈申諭〉となった。

 寛政改革の手余地=荒地対策は,幕閣中〈たとひ巷説ありとも動くまじ〉(《宇下人言》)という固い決意で実施に移されたが,みるべき効果をあげえず,天保改革においては旧里帰農奨励令が強化されて,1843年(天保14)厳しい人別改令(俗に人返し)が発令された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「手余地」の意味・わかりやすい解説

手余地
てあまりち

江戸時代、農村荒廃による人手不足から、耕作が放棄された土地。江戸中期以降、凶作や飢饉(ききん)、ならびに社会構造の変質から、農村で生活できなくなった人々は宿場や都市へと流出した。そのため農村では戸数・人口が減少し、農業労働力の不足から農村荒廃がおこり、手余地が増大した。手余地がわずかのうちは、村での惣作(そうさく)によってそれを耕作したが、手余地が増大すると、村の少ない労働力では耕作できなくなった。江戸幕府は、そうした状況に対処するため、入百姓(いりびゃくしょう)政策を実施したり、また、1790年(寛政2)に帰農令、1843年(天保14)に人返(ひとがえし)令を発令したが、効果はあがらなかった。

[川鍋定男]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「手余地」の解説

手余地
てあまりち

江戸時代,耕作する農民がおらず放棄された地。発生の原因は,凶作・飢饉,貢租の過重,商品経済の浸透などによる農民の離村や転業で,総じて農村人口の減少が主因。

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世界大百科事典(旧版)内の手余地の言及

【潰百姓】より

…潰百姓の跡地(あとち)は親類,縁者,誼(よしみ)の者が引き請けるものとされていたが,引請人のいない場合が多く,それが村の惣作地(村総作)となった。惣作地については〈村並年貢諸役相務め,作徳の内種肥代を渡し,其余分は地頭へ納め,作手間は村役にいたす定法〉(《地方凡例録》)とされ,耕作および年貢諸役を村が負わされていたが,潰百姓の跡地の多くは耕作放棄され,手余地(てあまりち)となった。とくに中期以降,潰百姓が続出して手余地が増加し,貢租収入の減少をもたらし,他方,彼らが離村して博徒,無宿(むしゆく)者,都市細民などに化し,これが治安上の問題ともなり,政治問題化した。…

※「手余地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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