戦略・戦術(読み)せんりゃくせんじゅつ(英語表記)strategy, tactics

日本大百科全書(ニッポニカ) 「戦略・戦術」の意味・わかりやすい解説

戦略・戦術
せんりゃくせんじゅつ
strategy, tactics

戦争指導上の二つの方策。戦略とは、大会戦や戦争に勝利するために諸戦闘を計画・組織・遂行する方策であり、戦術とは、戦略の枠内で個々の戦闘を計画・遂行するための通則である。戦略は国家政策と密接に結び付いており、一般に政治目的に制約される。国家政策の総体を国家戦略とよび、そのうち戦争にかかわる部分を軍事戦略ということもある。また、戦略を師団ないしそれ以上の戦闘単位の作戦と関係させ、戦術をそれ以下の戦闘単位の問題とみなす分類法もある。戦略・戦術はもともと軍事用語であるが、今日では軍事以外の分野でも、なんらかの目的の実現のための計画や行動に広く応用されている(経営戦略・牛歩戦術など)。

[山崎 馨]

戦略

戦略strategyは語源的にはギリシア語の「将帥術」からきているが、それが戦術と明確に区分されて使用されるようになったのは18世紀末からである。その当時、フランス革命を契機に生まれた国民戦争は、それまでの傭兵(ようへい)主体の軍隊よりはるかに大規模な兵力で戦われたため、将帥の経験や直観に頼らない客観的な戦争指導の理論が要請されたからである。19世紀に入ると、クラウゼウィッツやジョミニの手で戦略論は集大成され、彼らの理論をもとに、今日まで議論が行われてきている。

 戦略論の第一の問題は、その原理の性格にかかわっている。戦争に不変の原理の存在を認めるか否か、ということである。ジョミニは決勝点への主力の機動と投入をその種の原理としたが、戦争を社会的・政治的な現象とみる人々は不変原理の存在に否定的である。原理ということばは使わなくとも、攻勢、機動、集中、先制、指揮統一などの戦略上の原則を教範に掲げる軍隊は多い。

 戦略論の第二の問題は、政治と軍事との関係にある。クラウゼウィッツは軍事戦略に対して政治がもつ絶対的優位性を強調し、戦略は政治目的の達成のための手段にすぎないと述べたが、戦略を軍人の専管領域だとして政治の介入を拒んだり、国家政策の全体を軍事戦略の手段にしようとする傾向(ドイツの軍人ルーデンドルフの「総力戦」)までのちに生まれている。

 19世紀の戦略はナポレオンの戦争に範をとり、円滑かつ迅速な機動で主力を決勝点に集め、歩兵・騎兵・砲兵の協力のもとで決戦を挑んで敵野戦軍を撃滅することを目標にしていた。しかし、防御火力の増大、野戦築城技術の発達、防者の交通・通信網の拡充などのため、20世紀に入ると短期的な決戦での決着は困難となり、第一次世界大戦の西部戦線では、かわって強固な陣地によった長期の消耗戦が出現している。国力全体を疲弊させる消耗戦を回避するため、第二次世界大戦で欧州諸国は、戦車や空軍を大量投入して敵陣を突破ないし迂回(うかい)する機動戦を復活させたが、ドイツやソ連が敵主力を捕捉(ほそく)・殲滅(せんめつ)する電撃的な主力決戦を重視したのに対して、むしろ敵の弱点を探し出してそれを貫徹するという間接戦略を提唱するリデル・ハートのような人もいた。また、毛沢東(もうたくとう)は中国の解放戦争を、遊撃戦から最終攻勢に至る人民持久戦略という枠組みのなかに位置づけた。

 第二次世界大戦末の核兵器の登場と、その後の核運搬手段の発展とは、戦争の様相を一新し、核戦略構想はかつてない大量破壊を考慮してたてられることになる。アメリカは、核独占期には、戦略空軍による核報復という威嚇に基づいて、ソ連の攻撃を抑止する戦略をつくったが、朝鮮戦争などでの核威嚇の不機能、核独占の崩壊、ソ連戦略ミサイルの性能向上などから、やがて、通常戦に対する非核兵力の強化、核戦争における第二撃能力の確保を目ざすようになった。これらはありうる攻撃を事前の威嚇で制止する意味で、抑止戦略とよばれる。その後、アメリカの戦略は、地域紛争の非核的な処理、核攻撃による敵中枢部の確実な破壊、自国民や戦略兵器の生き残る確率の増大などを求めてさらに展開され、レーガン大統領が1983年に発表したSDI戦略防衛構想)では、宇宙空間の大々的な利用さえも戦略に組み入れられるようになった(SDIは93年に破棄)。ソ連もまた、戦略核攻撃を基軸として全縦深を一挙に制圧するという戦略をたて、米ソの間でのたび重なる戦略兵器制限交渉や、核戦争に反対する国際世論にもかかわらず、核戦略は最新の科学技術の成果を取り入れて高度化されてきた。1991年末のソ連崩壊後、米ソ対立という冷戦は終結したが、ソ連の戦略核はロシアに受け継がれた。そしてロシアも、核戦力の維持による米ロの戦略的均衡を保持している。

 西欧諸国は、1949年にアメリカとともにNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)を結成し、アメリカの核の傘のもとで地域戦略をつくって、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構(1955結成)諸国と対置していたが、アメリカ戦略の変化に伴って核抑止が有効に機能しうるかどうかをめぐって論争がおき、フランスはNATOの軍事機構を脱退して独自の核戦力を保持する戦略を採用するに至った。戦後の非ヨーロッパ地域での戦争は、民族解放戦争での持久戦略を除けば、中東戦争などにみられるように、戦争目的を敵の完全な打倒にかならずしも置かない制限戦争的な戦略によることが多い。核拡散に伴って、そうした戦争でも核兵器が使用される危険が生じている。中国は核兵器を所有しているが、人民戦争を重視している。ただ文化大革命後は、人民解放軍の技術的・組織的近代化の過程で、核戦略の比重を増加させていて、アメリカ、ロシアに次ぐ核弾道ミサイルを所有している。

[山崎 馨]

戦術

戦術tacticsとは個々の戦闘の指導規則であり、戦略と同様、技術条件の変化に大きく影響されるが、一般には攻撃と防御、遭遇戦と陣地戦、物質的要素と精神的要素などの定型的な形式をもっている。近代の戦術は銃砲の登場とともに始まる。小銃は重装甲の騎士軍を無力化し、火砲の威力は中世城砦(じょうさい)を容易に破壊しえた。このため、砲兵に援護された数列の銃兵横隊による連続した一斉射撃と騎兵の突撃力が野戦の帰趨(きすう)を決定するようになった。他方、17世紀になると火砲の攻撃に耐えうる近代的要塞(ようさい)が出現し、要塞をめぐる攻守戦は長期化するようになった。18世紀末までの軍隊は傭兵を主体にしており、彼らの逃亡を防ぐ目的も横隊戦術にはあった。兵站(へいたん)と道路に制約された緩慢な行進のあと、近接距離で横隊どうしが射ち合う戦闘では、勝者、敗者ともに多数の死傷者が出た。

 産業革命の進展とともに銃砲の発射速度や精度も増し、横隊はしだいに散開隊形に変わる。フランス革命は国民徴兵によって大軍隊をつくるとともに、行進を遅くしていた火砲の機動力や兵站負担を軽減した。軍隊は何列もの縦隊で急速に行進し、戦闘にあたっては散開して銃砲弾を決勝点に集中し、動揺する敵陣に白兵突撃を敢行するとともに、騎兵や予備隊による追撃で戦果を拡充した。19世紀中葉以降、銃砲の後装化や機関銃の登場で、より散開的な隊形がとられると同時に、射撃力や突撃力の不足を補うため小部隊単位での戦闘が重視される。鉄道や道路網の整備、通信技術の進歩は兵力の分散・機動・集中や統一指揮をさらに容易にし、将校教育の体系化などと相まって、戦術上の柔軟性がより増加した。他方、火力増加、塹壕(ざんごう)・鉄条網の利用は防御力をも強化し、第一次世界大戦では、野戦での短期決戦ではなく、綿密に組織された塹壕網と、拠点火力に対する大量砲撃と何波かに分かれた人海戦術との衝突が常態化した。毒ガスや戦車は陣地突破用の新兵器として登場している。第一次世界大戦後、マジノ線による固定防御を重んじたフランスを除く各国陸軍は、戦闘を再機動化させるのに意を砕き、戦車、対地支援航空機、歩兵・砲兵の車載化などを組み合わせた機動戦が第二次世界大戦では復活している。

 空からの対地攻撃の効果は大きく、このため戦場の制空権の確保や対空戦闘が重要となった。第二次世界大戦後、対戦車ミサイルや戦闘用ヘリの登場で戦車の活動はかなりの制限を受けるようになった。しかし、制空権を得たうえで火力支援を受けた機甲部隊の戦闘は今日でも戦闘の中軸をなしている。歩兵も装甲兵員輸送車で移動・戦闘を行うようになっており、在来兵器の近代化や宇宙衛星までも含む電子兵器の導入のため、戦術はかつてにもまして立体的で流動的になっている。戦術核兵器がその傾向をさらに促進している。

 18世紀には、軽騎兵や不正規兵による敵の側面や小部隊、連絡線、兵站基地などへの攻撃は小戦とよばれたが、これはナポレオンの侵攻に対してスペインやロシアで多用され、ゲリラ(パルチザン)戦術と通称されるようになった。20世紀の民族解放戦争の多くは、まずこうしたゲリラ的な戦闘による敵の長期にわたる翻弄(ほんろう)・消耗で開始されている。反ゲリラ側も対ゲリラ特殊部隊や武装ヘリコプターの利用、戦略村の設立といった対ゲリラ戦術をつくりあげている。

 海軍は帆船時代から第一次世界大戦まで、長らく主力艦隊どうしの砲撃による決戦や敵の港湾封鎖を主要な課題としてきた。索敵・展開・戦闘・追撃という戦闘パターンが一般的であった。しかし、第一次世界大戦で潜水艦が本格的に使われると、主力艦の援護や対潜行動が比重を増し、また潜水艦による通商破壊戦とそれへの対抗策が海軍戦略の重要な1項目となった。だが、長距離砲と分厚い装甲をもった主力艦と、それを援護する補助艦を基礎とする戦略は、航空部隊の海戦への投入によって無効となり、第二次世界大戦では空母と潜水艦とが海戦の主役を占めている。他の艦船も対空・対潜戦闘を基本とするようになり、船団護衛や上陸支援が主任務となった。第二次世界大戦後も、空母と潜水艦の重要性は変わっていないが、非核・核ミサイルを搭載した水上艦艇の多面的な役割が増加しつつある。

 空軍は第一次世界大戦期に登場し、当初は偵察・空中戦・対地支援が主任務であったが、やがてそれに敵の陣地や都市への爆撃が加わった。航空攻撃の威力は第二次世界大戦では地上・海上の戦闘にとって決定的な意義をもつようになり、また敵の都市や重要施設を集中的に攻撃して相手の継戦能力を減耗させる戦略爆撃も同様である。戦略空軍の役割は核兵器の登場でさらに拡大したが、その後、戦略ミサイルが戦略爆撃機の地位を大きく奪い取った。ロケットやジェット機の登場は、戦闘機と軽爆撃機の区分を廃止させ、空中戦にも対地・対艦攻撃にも使える戦闘爆撃機が戦術面での中心になっている。また、レーダーや電子装置の発展は、空軍戦術をはるかに複雑なものにした。現在では空軍の任務は、主として偵察、輸送、対地支援にあるが、そのためにも近年目覚ましい発達を遂げている対空ミサイルの制圧が必要条件となっている。レーザー兵器などを装備した軍事衛星、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦、長距離・中距離を飛ぶ各種ミサイル、対空・対戦車ミサイル、戦闘用ヘリコプター、精密な電子兵器等の利用によって、戦略・戦術は陸・海・空三軍ごとの区別をしだいに離れ、より統合された運用へと向かうことになろう。

[山崎 馨]

『E・M・アール編著、山田積昭他訳『新戦略の創始者』全2巻(1979・原書房)』『金子常規著『兵器と戦術の世界史』(1979・原書房)』『小山弘健著『軍事思想の研究』(1984・新泉社)』

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