戦争の放棄(読み)せんそうのほうき

改訂新版 世界大百科事典 「戦争の放棄」の意味・わかりやすい解説

戦争の放棄 (せんそうのほうき)

日本国憲法9条はその1項で〈日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する〉と定めている。これにつづいて同条2項は,〈前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない〉と定めている。これら二つの項から成る9条は,憲法前文の恒久平和主義を具体化するものと考えられ,とりわけ前文の定める〈平和のうちに生存する権利〉(平和的生存権)を保障するための制度という意義をもっているといえよう。平和的生存権の保障は,平和を国家の政策としてではなく基本的人権の一部としてとらえた点で画期的なものであり,これは,第2次大戦が国家総力戦として戦われ,国民の精神的・物質的生活を根こそぎ動員して大量の生命と人権の破壊をもたらしたこと,とりわけ日本では広島,長崎の2度にわたる原爆の被爆体験を通じて,核時代の戦争がもはや国家の政策の問題として処理されるべきではない人類の生存にかかわる問題となり,平和が普遍的な人権価値となるに至った歴史的事情を反映しているのである。

戦争放棄を定める9条1項は,〈国権の発動たる戦争〉とならんで〈武力による威嚇又は武力の行使〉を〈永久にこれを放棄する〉としているが,このような規定が成立するに至る背景には,国際法における戦争の違法化の歴史がある。国際法の上で,事実上あらゆる戦争が〈自助〉(自力救済)の名目のもとで合法視されてきた状態を改善して,戦争を違法とし,伝統的な国家の〈戦争の自由〉に制限を加えようとしたのは,第1次大戦後の国際連盟規約(1919年6月締結,20年1月発効)および〈戦争抛棄ニ関スル条約〉(不戦条約。1928年8月締結,29年7月発効)である。連盟規約は,締約国の〈戦争ニ訴ヘサルノ義務〉の上にさまざまの戦争の制限に関する手続を定めたが,しかし戦争に訴えることがまったく否定されたわけではなく,また規約に違反して戦争を行う加盟国に対して有効な制裁手段を欠いていた。連盟の外において締結された不戦条約は,締約国が〈国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコト〉を宣言するとともに,〈一切ノ紛争又ハ紛議ハ,其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ,平和的手段ニ依ル〉処理または解決のみを求めることを約束したものであり,戦争の違法化・制限の方向へとさらに前進したものではあるが,しかし締約国が非締約国に対して行う戦争や不戦条約違反の締約国に対する制裁戦争の合法性を認め,またアメリカ政府の公文にみられるように自衛権による戦争が留保されるという大きな限界があった。さらに,正式の戦争の形態をとらない武力の行使(満州事変などの事実上の戦争)は認められると解釈される余地もあったために,自衛権の行使を名目とした戦争や武力行使を抑止しえなかったといえる。これに対して第2次大戦後の国際連合憲章(1945年6月締結,同年10月発効)は,〈すべての加盟国は,その国際関係において,武力による威嚇又は武力の行使を,……慎まなければならない〉(2条4項)として,事実上の戦争をも禁止することで戦争の違法化を大きく前進させた。しかし憲章は,加盟国の〈個別的自衛権〉を承認するとともに新しく〈集団的自衛権〉を認めたために,自衛権を名目とする武力行使の可能性が広がった面のあることは否定できない。

上のような背景を考慮して,日本国憲法における戦争の放棄の特色を考えると,第1に,平和的生存権という新しい人権を保障する目標のもとに戦争放棄が位置づけられていること,第2に,事実上の戦争を含めて広く戦争を放棄していること,第3に,戦争放棄に対する実効的方法として新たに〈陸海空軍その他の戦力〉の不保持と〈交戦権〉の否認をつけ加え,結局,自衛権を名目とした戦争をも否定していること,の3点を指摘することができる。

 ところで憲法9条の戦争放棄および戦力の不保持に関する政府の解釈は,大きく分けて,(1)自衛権をも実質的に否定する見解をとった時期(憲法制定時から1949年ごろまで),(2)〈武力なき自衛権〉を肯定する見解をとった時期(1950年以降53年まで),(3)〈自衛力〉論にもとづいて軍事力による自衛権を主張するに至った時期(1954年以降)の三つの時期に分けられる。(2)の時期は戦後日本の再軍備の始動期に相当するが,朝鮮戦争の勃発(1950年6月)とともに警察予備隊が創設され(1950年8月),またサンフランシスコ講和条約による片面講和の際に同時に締結された旧日米安全保障条約(1951年9月締結,52年4月28日発効)を背景として保安庁が設立され(1952年8月),保安隊・警備隊という実力組織が成立した。この時期,内閣法制局は,〈“戦力”とは近代戦争遂行に役立つ程度の装備,編成を具えるものをいう〉旨の〈統一見解〉(1952年11月)を発表し,〈その本質は警察上の組織である〉保安隊・警備隊を〈侵略防衛の用に供することは違憲ではない〉との見解をとった。

 しかし,これは,自衛隊の発足(1954年7月)に始まる(3)の時期に変更された。自衛隊は,設置の目的・任務からいって警察力ではなく軍事力であるが,政府は新たに自衛権を行使するための必要最小限度の実力,すなわち〈自衛力〉という概念を編みだすことによって自衛隊を合憲とする見解をとり(1954年12月),これは基本的に今日まで維持されている。しかし,政府解釈の〈自衛力〉論については,第1に,自衛の範囲を超える軍事力=〈戦力〉と,自衛のための軍事力=〈自衛力〉とを区別することは困難であること,第2に,〈交戦権〉の否認は〈自衛力〉のような軍隊類似の軍事力の発動を認めていないと解されること,第3に,憲法には軍隊類似の軍事力に関連する諸規定(宣戦講和,統帥権,軍事裁判権,国防義務・兵役義務,戦時の人権制限など)が欠如していることの諸点を考えると,はたして〈自衛力〉概念が政府解釈のように自立しうるかは,きわめて疑わしいといわなければならない。

 最高裁判所は,砂川事件上告審判決において〈わが国が主権国として持つ固有の自衛権〉は否定されていないと述べた(1959年12月16日判決)が,しかし〈自衛権を保有し,これを行使することは,ただちに軍事力による自衛に直結しなければならないものではない〉(長沼ナイキ訴訟札幌地裁判決。1973年9月7日)と考えるべきであろう。

憲法の戦争放棄の意味を変え,政府の再軍備を促進してきた大きな枠組みは,日米安全保障条約(新・旧両条約)である。旧条約(1951年9月締結,52年4月28日発効)は,アメリカ主導の片面講和となったサンフランシスコ講和条約と同時に締結されたことに示されるように,日本がいまだ〈武装を解除されているので……固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない〉(前文)ことをたてまえとして日本をアメリカ中心の軍事同盟体制に編入するものであった。旧条約にもとづくアメリカ軍駐留の目的は,第1に極東における国際平和と安全の維持,第2に1または2以上の外部の国による教唆または干渉によって引き起こされた日本における大規模の内乱および騒擾(そうじよう)の鎮圧,第3に外部からの武力攻撃に対する日本の安全の3点であるが,実際にはアメリカの日本防衛義務が明定されない状態でアメリカ軍が基地利用および作戦行動の権利を行使する片務的な条約であった。さらに旧条約は,日本に対して〈直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うこと〉,すなわちいっそうの再軍備の促進を約束させるものでもあった。これに対して,旧条約の内容を合理化して対等の外観をもたせた新条約(1960年1月締結,同年6月23日発効)は,日米の〈両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していること〉(前文)を確認していることに示されるように,正面から〈集団的自衛権〉の観念,すなわち同盟国に対する武力攻撃を自国に対する武力攻撃とみなして,条約上の義務により自衛行動を行う権利を前提としている。それをよくあらわすのが〈共同防衛〉を定める条約5条である。同条は,〈各締約国は,日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め,自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する〉と定めるが,政府は従来,憲法9条が日本固有の自衛権として行使を認めているのは〈個別的自衛権〉のみである旨の解釈のもとに,5条を〈集団的自衛権〉によってではなく〈個別的自衛権〉の共働ないし同時的行使として違憲ではないと説明してきた。

 しかし,日米安全保障協議委員会が了承したアメリカ軍と自衛隊との間の〈日米防衛協力のための指針〉(1978年11月)以降,上のような政府の説明は疑わしいものといわねばならない。とくに1980年代に入ってアメリカ政府から自衛隊に強く要請された〈シーレーン防衛〉や〈3海峡封鎖〉のような自衛隊による作戦行動は,(1)元来,ヨーロッパ,中東などでの世界的有事の際に日本周辺でアメリカ第7艦隊を守ることを目的として協力を要請されているものであること,(2)〈シーレーン〉は軍事戦略上〈戦線の作戦部隊と根拠地を結ぶ兵站連絡海上交通路sea lines of communications〉であり,単なる貿易航路帯を意味するものではないこと,などを考慮すると,これを受け入れるならば憲法解釈上〈個別的自衛権〉に限定している枠を大きく踏み越え,実際上〈集団的自衛権〉を前提とせざるをえないこととなる。

そこであらためて問題となるのが憲法改正であるが,自由民主党が党内に設けている憲法調査会は,〈中間報告〉(1982年8月)において憲法9条の改正試案を発表した。それによると,まず9条2項(戦力の不保持,交戦権の否認)を削除して,〈2章の2 自衛隊〉という新しい章名のもとに9条の2を新設し,その1項に〈わが国の平和と独立を守り,国の安全を保つため,自衛隊をおく〉と定めることが提案されている。ただし,これには〈これに対し,憲法第9条について(1)現憲法がわが国の平和と繁栄に果たしてきた役割は大きく,すでに国民の意識の中に定着している。(2)東南アジアをはじめとする諸外国が,わが国は再び軍事大国の道へ踏み出すのではないか,と警戒を強めてくることが予想される--等の理由から,憲法第9条の基本的精神である平和主義を踏まえて,改正する必要はないという主張がなされた〉ことが付記されていることに注目する必要があろう。いずれにしても,日本国憲法の戦争の放棄は,戦力の不保持・交戦権の否認と一体の基本主義であることを忘れてはならないであろう。
自衛隊 →戦争
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百科事典マイペディア 「戦争の放棄」の意味・わかりやすい解説

戦争の放棄【せんそうのほうき】

国家間の紛争の解決に武力を用いないこと。〈不戦条約〉,国際連合憲章,イタリア憲法などは国際紛争解決の手段としての戦争を放棄したが,この戦争には自衛戦争は含まれない。日本国憲法第9条は,国権の発動としての戦争を,国際紛争を解決する手段としては永久に放棄し,国の交戦権を認めず,戦力の保持を否認したので,自衛戦争が許されるかどうか争われている。しかし,宣戦(開戦),講和統帥権兵役などの規定がなく,国民の安全と生存を,平和を愛する諸国民の公正と信義にゆだねている(憲法前文)ことから,すべての戦争を放棄していると解するのが通説である。→自衛権日米安全保障条約
→関連項目日米防衛協力のための指針

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