憲政擁護会(読み)けんせいようごかい

世界大百科事典(旧版)内の憲政擁護会の言及

【交詢社】より

…1912年12月二個師団増設問題で第2次西園寺公望内閣が倒れると,交詢社有志は集会して〈閥族打破憲政擁護〉を旗印に反官僚の運動をすすめることを決定。発起人となって時局有志懇談会を開き,憲政擁護会を結成して,第3次桂太郎内閣総辞職を実現させた。その後実業家の社交クラブとして現在東京都中央区銀座にある。…

【護憲運動】より

…この政変を通じて,ジャーナリズムや各地の商業会議所,政党院外団などは軍閥の横暴を批判し,また桂首相の非立憲的行動を非難,これらはやがて藩閥専制体制そのものへの批判に発展した。12月14日には交詢社系ブルジョアジーを中心に憲政擁護会が組織され,〈憲政擁護・閥族打破〉をスローガンに第1回の憲政擁護大会が東京明治座で開かれ,3000余の民衆が参加した。運動は全国に波及し,各地で集会が開かれた。…

【大正政変】より

…桂はとくに天皇に詔勅を出させて組閣に着手し,軍備拡張を入閣の条件とした海軍大臣斎藤実をも詔勅によって留任させ,組閣を完了した。こうした軍部の横暴,桂の再度の詔勅による組閣に対する藩閥の非立憲的行動に,ジャーナリスト,政党院外団,交詢社系の実業家,政治家は憲政擁護会を結成,〈閥族打破,憲政擁護〉をスローガンに運動を起こした。運動は全国各地に波及し,各地で市民大会が開かれた。…

【明治時代】より


[大正政変]
 こうして,内外情勢に困難さが強まる中で,1912年7月30日明治天皇は病没し,明治国家の発展と天皇の存在とを二重写しに意識してきた国民各層に大きな欠落感を抱かせることになった。そして,西園寺内閣が増師問題を理由に辞任した陸相の後任がえられず総辞職し,その後継首相に大正天皇の輔弼(ほひつ)の任に就いたばかりの桂太郎が選任されると,代議士有志や新聞記者,弁護士,それに財界人の一部も加わって憲政擁護会を結成し,護憲運動にのりだした。〈憲政擁護・閥族打破〉のスローガンの下に,運動はたちまちのうちに全国の各都市,さらに町や村々にも広がった。…

※「憲政擁護会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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