慶州(読み)けいしゅう(英語表記)Kyǒngju

精選版 日本国語大辞典 「慶州」の意味・読み・例文・類語

けい‐しゅう ‥シウ【慶州】

[一] 中国、遼代、現在の内モンゴル自治区赤峰市巴林(バリン)左旗の北西部に置かれた州名。白塔子
[二] 韓国、慶尚北道北部にある都市新羅の都で四~一〇世紀にかけて栄えた。今日、その遺跡が残る。キョンジュ

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デジタル大辞泉 「慶州」の意味・読み・例文・類語

けいしゅう〔ケイシウ〕【慶州】

韓国南東部の都市。かつての新羅しらぎの首都で、古墳・瞻星台せんせいだい仏国寺などの史跡が多い。キョンジュ。
中国、遼の第6代聖宗を葬った永慶陵慶陵)を守るために置かれた州。現在の内モンゴル自治区巴林パーリン左翼旗の北西部にあたる。

キョンジュ【慶州】

けいしゅう(慶州)

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改訂新版 世界大百科事典 「慶州」の意味・わかりやすい解説

慶州 (けいしゅう)
Kyǒngju

韓国,慶尚北道南東部の都市。人口27万5842(2000)。新羅(3世紀ころ~935)発祥の地であり,伝説時代を含めると約1000年の間王都として栄え,新羅の全盛時には人口78万余を数えたともいう。かつては鶏林と呼ばれ,慶州という呼称は高麗時代に始まる。兄山江の中流にある慶州盆地に位置し,北は迎日湾,南は蔚山(うるさん),西は洛東江流域の水田地帯へ通ずる要衝の地にある。年平均気温は約13℃であり,温暖な気候にも恵まれている。新羅は仏教を国教として尊んだため,吐含山の仏国寺芬皇(ふんこう)寺をはじめ古代仏教文化の遺跡が数多い。国立公園に指定されており,古都としての市街地の保存につとめ,博物館,古墳内部の展示,ホテルなど観光施設がよく整備され,四季を通じ内外の観光客でにぎわっている。高速道路の開通により,ソウルから5時間,釜山から2時間の距離にある。
執筆者:

慶州盆地は,東は明活山,西は玉女峰,仙桃山,南は南山(金鰲山),北は金剛山に囲まれ,さらに外郭を吐含山,亀尾山,武陵山などの諸山が二重にめぐる自然の城塞となっている。慶州市街には,西川・北川・南川によって堆積された砂礫層が発達する。盆地一帯には,紀元前から統一新羅時代にわたる数多くの遺跡が残っている。三国時代以前の無文土器・原三国時代の遺跡として,九政洞,朝陽洞,月城郡入室里などの墳墓が知られ,銅剣,銅矛,銅戈,銅鏡,小銅鐸,鉄剣,鉄斧,鉄鎌など各種の青銅器,鉄器,土器が出土している。盆地中央の平地には,三国時代の古墳群が集中して分布する。円形・瓢形の封土をもつ積石木槨・竪穴式石室・横穴式石室墳などである。積石木槨墳は,木棺を安置した木槨の周囲を人頭大の河原石で覆い,さらに盛土した新羅独特の墓制である。これまで金冠塚金鈴塚飾履塚,瑞鳳塚,壺杅(こう)塚天馬塚皇南大塚など王陵級の古墳が発掘されている。これらを5世紀末から6世紀代の慈悲,炤知,智証,法興などの王ないしは王族に比定する説もあるが,いまだ確定されていない。古墳には金製冠をはじめ,金・銀・金銅製装身具,武器,馬具,農工具,鉄鋌,ガラス器,土器など膨大な遺物が副葬され,なかには西方・中国・高句麗系文物を含み,新羅王権の強大さと国際性がうかがえる。古新羅末期から統一新羅初期にかけて造営された馬塚,忠孝里などの横穴式石室墳は,慶州古墳群の縁辺から丘陵地帯に分布する。統一新羅時代の金庾信(きんゆしん)墓,伝聖徳王陵,掛陵などの墳墓には,墳丘の裾に外護列石をめぐらせたり,その列石に十二支像を彫刻したもの,墳丘の周囲に十二支像や文武の石人像・石獅子像を配したものがある。武烈王陵の前面には,碑の台石・装飾物である亀趺と螭首(ちしゆ)が残り,その螭首には〈太宗武烈大王碑〉と陽刻されている。

 新羅における仏教の初伝は訥祇王代(417-458),その公伝は法興王15年(528)といわれ,仏教の興隆とともに造寺・造仏が盛んとなった。皇竜寺址芬皇寺などにみられるように初期の寺院は,百済の影響をうけ一塔式の伽藍をもつが,四天王寺など統一新羅期の寺院では,金堂の前面に2塔を並べた双塔式伽藍が主流となる。塔も,初期では木造であったが,芬皇寺の磚塔(せんとう),千軍里廃寺・感恩寺址・仏国寺の石塔のように石造となる。慶州南方の南山一帯は,新羅仏教芸術の一大宝庫であり,火葬墓,数十の寺院址,40基以上の石塔,70体におよぶ石仏・磨崖仏が遺存する。

 慶州は条坊制の施行された都城であった。南川の蛇行に沿って半月形に造営された月城には,土石混築の城壁がめぐらされ,その北に隣接して離宮である臨海殿,園池の雁鴨池(がんおうち)が造られた。京(みやこ)の北方の城東里では宮殿址,門址などが発掘されている。王都は,四方を明活山城,西兄山城,南山城,さらに外方を富山城,関門城,北兄山城で守護されていた。南山城は591年(真平王13)に築造された石城であり,城内に長倉址があり,炭化米も出土した。周辺で発見された石碑により,南山新城と呼ばれたことも明らかとなった(南山新城碑)。このほか慶州には,古新羅時代の天文台である瞻星(せんせい)台,統一新羅時代の石窟庵,宴跡の鮑石亭,朝鮮時代の邑城,石氷庫などの遺跡がある。1970年以降,慶州開発計画に基づいて発掘された天馬塚,皇南大塚,雁鴨池,臨海殿址などは史跡公園として整備されている。
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百科事典マイペディア 「慶州」の意味・わかりやすい解説

慶州【けいしゅう】

韓国,慶尚北道南東部の古都。兄山江とその支流南川にまたがる帯状平野の中にある。新羅(しらぎ)の首都金城として4―10世紀に栄え,その遺跡が多い。高麗の太祖王健が慶州と改称し,朝鮮王朝時代は慶州府と呼ばれた。月城は新羅の王城跡とされ,北西の瞻星台(せんせいだい)は天体観測を行った跡である。新羅時代の古墳としては金冠塚金鈴塚などが有名。吐含山南麓の仏国寺慶州石窟庵など新羅芸術の粋を集めており,両者は1995年世界文化遺産に登録,2000年には慶州歴史地域が同様に登録された。市内の芬皇(ふんこう)寺の石塔も新羅最古の寺院跡。慶州国立公園に指定されている。人口26万8000人(2005)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慶州」の意味・わかりやすい解説

慶州
けいしゅう
Qing-zhou; Ch`ing-chou

中国,朝の州名。第6代聖宗を葬った陵墓である永慶陵 (または慶陵) の維持のために,景福1 (1031) 年に設置され,のち興宗,道宗の陵もおかれた。州の城址は,現在の内モンゴル自治区昭烏達 (ジョウウダ) 盟巴林 (バリン) 左翼旗の北西部,白塔子部落にあり,仏塔である白塔と慶陵の壁画は,現存する遼代建築絵画の白眉として著名。金代に奉州と改称され,のちに廃止。

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旺文社世界史事典 三訂版 「慶州」の解説

慶州
けいしゅう

①古代朝鮮の統一王朝新羅 (しんら) の古都
慶尚北道に位置し,4世紀半ばごろから新羅の国都として栄えた。7世紀末には半島の首都として唐制を取り入れ,文化の中心を誇ったが,935年新羅の滅亡とともに没落。付近には新羅時代の仏寺や同王朝勃興期の古墳群など,多くの遺跡がみられる。
②遼の興宗が11世紀聖宗の陵墓慶陵 (けいりよう) を守るために設置した州。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「慶州」の解説

慶州(けいしゅう)
K&ybreve;ongju

韓国慶尚北道の都市。古くは蘇伐(ソブリ)といい,また金城と称した。新羅の国都。山に囲まれた慶州盆地にあり,北東は迎日(ヨンイル)湾に,南東は蔚山(ウルサン)湾に通じる。盆地は新羅の遺跡に満ち,古墳群,王陵,城址をはじめ,石窟庵,磨崖仏(まがいぶつ)など,新羅芸術の宝庫である。

慶州(キョンジュ)

慶州(けいしゅう)

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世界大百科事典(旧版)内の慶州の言及

【朝鮮美術】より

…その伝播は,直接的には遼東地方の鮮卑族から高句麗を経て,新羅で開花したと考えられる。しかし,統一新羅時代になると唐文化の影響を大きく受けて金工の技術が飛躍的に発展し,奉徳寺銅鐘(国立慶州博物館)のような独特な形式を備えた朝鮮鐘も生み出された。高麗時代にも高度な金属工芸技術は伝承され,主として金銀象嵌文様を施した仏具にすぐれた作品を残している。…

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